山田さんを送る
稲作を始めたばかりの2008年4月に、こんなことを書きました。
http://yamazato.ic-blog.jp/home/2008/04/post-d945.html
「地主さん」というのは真壁(まかべ)さんのことで、田んぼを貸してくださり、田畑のことをいろいろ教えてくださった私の農業の師です。
「隣の農家」にもお世話になりました。私は、こう書きました。
「苗箱にタネモミを蒔く作業について隣の農家に聞きに行ったら、昭和1ケタ生まれのご主人は「苗箱を持って来てくれ、こっちで一緒にやろう」と言ってくださり、自分も田んぼの準備で忙しい時期なのに、一緒に種蒔きをしてくださって、ありがたいやら、申し訳ないやら。」
タネを蒔き終えて苗箱を苗代(なわしろ)に設置したあとも、この「昭和1ケタ生まれのご主人」は、順調にいっているか気にして、見に来てくれたりしました。
山田さんという方で、私はいろいろ教えていただき、時々野菜や果物をもらったりしてきました。
今年1月、入院中だったこのご主人が亡くなりました。寒波が到来した大雪の日でした。享年85歳。
真壁さんも山田さんも地上の人生を過ごし、逝ってしまいました。私の山里暮らしの師匠たちが去ってゆきます。暖房完備の病院にいれば外の寒さなんて関係ないように思うのですが、どういうわけか、寒い日に召されてゆく人が多いようです。
山田さんは道具を使う名人でした。特に、ナタ、カマなどを使うときの動きがみごとでした。私はなかなかできないのですが、山田さんがやるとナタやカマで枝や草がスパッと切れるんです。それにチェーンソーの扱いも上手で、私は山田さんがやるのを見ながらチェーンソーを覚えたのです。
山田さんからはいろいろなことを教えていただきましたが、特に印象に残っている言葉があります。
「戦争が終わったとき、何もなかったけれど、これからは平和になってよくなるんだという希望があった。今は、物は何でもあるけれど、若い人たちに希望があるんだろうか」
私はこの言葉を聞いたときに、すごく共感したんです。「物があれば幸せなのか」って。
山田さん、ありがとうございました。
(伊藤一滴)
コメント