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山里暮らしが悪かったのか

次男が中1で不登校になったとき、ある人から、それは山里暮らしが原因ではないのかと言われ、ショックでした。その人はカウンセラーや医療関係者ではないし、悪意があって言ったわけでもないでしょう。それに、その指摘は、ある面、当たっていたのかもしれません。

子どもたちは、人に揉まれていない、いじめも嫌がらせも知らない、クラス替えの緊張もないし、新しい人間関係を作った経験もない、先生からも近所の人たちからも親切にされてきて、嫌な目にあっていない、それがいけなかった、というのです。だから町の中学に進んで、現実に直面し、ついて行けなくなったんだろうと。山のふもとの小学校は1学年の男女合わせて十数名でしたから、野球やサッカーなどの経験もありません。それだけの人数がいなかったのです。中学校のスポーツや人間関係にめんくらったのだろうとも言われました。 そうかもしれません。でも、たとえ事実そうだとしても、その指摘はつらかったです。自分たちがやってきたことがすべて否定された思いでした。

私たち夫婦としては、まず、子どもが育つ環境のことを思い、大自然の中でのびのびと育ってほしいと思ったのです。それに私も妻も、街の喧騒の中で暮らすのに疲れを感じていました。 今、高校2年になった長男が小学校に上がる年の早春、私と妻は長男と次男を連れて、街の中の家から山里の古民家に引っ越して来ました。その年に娘が生まれ、5人家族になりました。

自然環境に恵まれた山里の小さな集落で、私たちの生活が始まりました。近隣の人たちからは親切にしていただき、助けられてきました。集落は静かで、ストレスの少ない環境でした。ふもとに下ると小学校や保育園があって、家の車庫の前までバスが迎えに来てくれました。食料品の行商の人が山里に来ていましたし、ふもとにもちょっとした店や郵便局や農協もありました。川向いまで行けば小さなスーパーもあり、生活が不便だとは思いませんでした。ふもとの小学校は当時児童数100名弱で、1学年十数名、クラス替えもないし、みんな気心知れた仲になり、仲良くしていました。次男が入ったふもとの保育園も小さくて、一人ひとりをよく見ていてくれました。保育園には畑があって、野菜を植えたりしていました。保育園児も小学生も、大自然の中で元気いっぱい遊び回っていました。 東京で暮らしたり地方都市で暮らしたりした私たちは、別世界に来たような感じがしました。時間がゆっくり流れていくようで、昔に帰ったような気もして、まるで桃源郷のようだと思いました。

長男と次男は1歳と少ししか違わないのですが、年度をまたがって生まれたので2学年違います。長男が小学校3年生に進んだ年に次男が入学しました。2人でランドセルを背負って登校する姿は、それは微笑ましいものでした。次男の学年も十数名で、みんな仲が良かったし、学年を越えて遊んでいました。小さい学校なので全員が親しくなっていましたし、先生たちも全校生を憶え、一人ひとりに対応してくれていました。いじめの話など、まず、ありませんでした。私には理想的な暮らしのように思えました。

それがいけなかった、というのです。

昔なら、農山村にもある程度は人がいたから、今ほど少子化が問題になっていなかったのでしょう。いくら私たちが理想的な暮らしを求めても、過去の時代に戻ることなどできなくて、現代日本に生きるしかないのです。現代日本がかかえている問題と共に生きるしかない、ということなのでしょう。

でも、街で暮らし、街で子育てをしたほうがよかったのでしょうか? 子どもたちは人に揉まれ、時にいじめや嫌がらせを経験したり、人間関係で緊張したり、大人からも嫌な目にあわされたりして、社会の現実を知って育ったほうがよかったのでしょうか? アスファルトとコンクリートの中で育ち、夏は野山を冬は雪原を駆けめぐったりしないほうがよかったのでしょうか? 田んぼや畑の手伝いや焚き物を運ぶ手伝いなどしないで、大人の指導のもとでスポーツや習い事にでも打ち込んでいたほうがよかったのでしょうか? 場の空気を読んでうまく立ち回る子どもになったほうがよかったのでしょうか?

いや、そのような「あれかこれか」ではないのでしょう。現実の生活はオセロゲームのコマではありませんから、白でなければ黒、黒でなければ白、というようにはいきません。理想を求めながらも、現代日本の現実があって、その中での子育てです。ある程度、バランス感覚も必要なのでしょう。

しかし・・・・。山里暮らしが不登校の原因では、と言われたのでは、では、どうすればよかったのか。私も、こうだと言い切る自信はありません。 ただ、これは言えますが、子どもたちはみな、気持ちの優しい子に育ちました。障害のある子や外国出身の子をふつうに受け入れるし、配慮が必要な子には配慮する子どもたちになりました。そして、芯の強さを感じます。自分たちも周りから優しくされてきたから(甘やかされたという意味ではなくて優しく見守られて育ってきたから)、人に優しいのだろうし、自然の恵みや厳しさを知っているから、芯が強いのでしょう。

うちの子だけでなくて、ふもとの小学校の子どもたちを見ていると、特に下級生や障害を持つ子に対して優しいです。大雪の朝は、必ず、6年生や5年生たちが先頭を歩いて雪を踏み固め、低学年の子が歩きやすいようにしています。そういう姿を何度も見ました。 保護者たちも、たとえばPTAの役などは、それぞれに配慮し合って引き受けてきました。押し付け合いになったことなどありませんでした。農山村には、互いを配慮し、助け合う精神風土を感じます。

子どもたちには、たとえ町に出てめんくらっても、その優しさと芯の強さで進んでほしいと願っています。 私は、どう言われても、この山里の暮らしを否定したくない思いでいます。

(一滴)

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