不登校だった次男への詫び
まず、謝ります。あなたが中学校1年生の春、学校に行けなくなったとき、朝、布団から出てこないあなたを怠け者だと思い、無理やり布団をはがして引っぱり出したりもしました。抵抗するあなたに「何をサボってるんだ、早く支度をして学校へ行きなさい!」と怒鳴りつけたこともありました。ごめんなさい。あのときお父さんはわかっていなかったのです。苦しい思いに寄り添ってあげることが出来ませんでした。ほんとうに、悪いことをしてしまいました。
あなたは学校に行けない理由を何も語りませんでした。いくら聞いても何も言いませんでした。深く傷ついていたのですね。お父さんもお母さんも、それをすぐに察してあげることが出来ませんでした。あのあと、お母さんは、担任の先生やスクールカウンセラーの先生方と何度も話しをしたんです。お父さんも何度か行きました。心療内科のお医者さんにも診ていただいて、やっと、お父さんやお母さんは、あなたの苦しい思いに少しずつ気づいたのです。
あなたも気づいているだろうけれど、中学校には、個人的にはいい先生が何人もいますよ。全員ではないけれど、生徒の未来を思う気持ちが伝わってきました。そういう先生たちは、生徒思いの教師でありたいという気持ちと、学校の現実との間で板挟みになって、大変でしょうけれど。
今年の11月になって、ようやく、学校で何があったのか教えてくれましたね。お父さんは話を聞いて思いました。悪いのはあなたではなくて、世の中の歪みのほうだと。まず、管理することで人を従わせようとする発想がよくない。がんじがらめの管理下で、ストレスをため込んでいる人が、反論してこないような人をいじめてうっぷん晴らしをしたりする。それも、見つからないように巧妙にやるのです。そしてこれは競争主義からくるのだろうけれど、文化活動よりスポーツで競い合うことを上に見たり、障害者を下に見たりする風潮も、勢いのいい者の主張が通ってしまうのも、みな世の中の歪みです。それが中学校にも反映しているのです。形式主義的な宿題の件は、本当にひどいね。書類だけ通っていればそれでいいという風潮が大人社会にあって、最近も建物の杭の偽装や生産物のデータの改竄などが問題になっているけど、企業にも役所にも形式主義が蔓延しています。
中学校は大人になるための訓練の場だと言うけれど、偽りの人間になるための訓練の場なのかと言いたくもなります。この世の中は、ごまかす人、場の空気を読んで要領よく立ち回る人、スポーツで注目されるなどして勢いよくふるまう人が勝つのだと教える場なのかと。
でもね、希望はあります。たしかに、過去は変えられない。でもこれからは、あなたはあなたの道を行けばいいのです。応援します。勉強の遅れは取り戻せばよい。数学や理科は好きだから、独習が進んでいるようだし、本も読むから、国語もそれなりに出来てますね。社会科はもう少し勉強しよう。英語はラジオの「基礎英語」を聞いたり、テレビの「エイエイGO!」や「プレ基礎英語」を見ながら頑張っているようだから、その調子でやろう。発音、うまいよ。
あなたなら、高校に進んで、やっていけるだろうと思います。自由な校風の高校に進んで、好きなだけ文化活動や芸術活動をすればよい。苦しい思いをしたことを未来に生かしてください。自分の体験をふまえ、人の苦しみを察する人になってください。学校に行けなかったつらい経験を、今後のプラスに変えればよいのです。お父さんやお母さんはあなたの味方です。
父
(伊藤一滴)
世の不登校の子どもたちの両親、特に父親がみんなこんな風であってくれたなら。認められ、愛され、尊重されることが、子どもたちにとって、どれほど大きな力をもたらしてくれることか。
同時に、子どもは、親をガッカリさせてしまったことに、自分を責め、悲嘆にくれる存在なのかもしれません。この切ない哀しみこそが、なんと愛おしい営みでしょうか。次男さんの豊かな人生に幸あれ!
投稿: ぱく | 2015-12-10 23:50
親としては、どの子にも平等に接しているつもりでも、うまく伝わらないことがあります。あなたを大事にしているという思いをきちんと伝えたいです。子どもの気持ちを尊重しながら、成長を見守りたいと思っています。(一滴)
投稿: 一滴 | 2015-12-11 16:11