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人は何のために生きるのか 次男編

今年中学3年生になった次男がまだ小学生だったとき、私は聞いてみました。

「人は何のために生きるのか、考えたことあるかな?」

息子は答えて言いました、

「世の中を、より便利にするため、かな?」

って。

さらに私は聞きました。

「世の中が便利になると、人は幸せになるんだろうか? 金曜ロードショーでやってた「となりのトトロ」を見たろう。あの時代より今の方がずっとずっと便利になっているけれど、じゃあ、今の子どもはあの時代の子どもよりずっと幸せに生きているのかな?」

しばらく考えて息子は言いました。

「便利だから幸せだって限らないよね。人生の目的って、他の人や、世の中や、未来を、よりよくすることかな?」

「なるほど、そういう答えもあるんだね。だったらどうすればよりよくなるのか、考えてみよう」

中学に進んだ次男は、勉強することの意味について、ずいぶん悩んだようでした。「他の人との相互理解のため」とか「筋道を立ててものを考えるため」とか、私なりに思う勉強の意味を話したのですけれど、納得しません。中学でさせられる勉強はひたすら競争で、勝ち抜くことばかりが求められ、他の人や、世の中や、未来をよりよくするのに結びついていないと思えて、やる気をなくしたのかもしれません。私は、次男に悪いことを言ってしまったのかと思いました。

その次男が中学3年になって、一生懸命「基礎英語」シリーズを聞きながら、聞き取ったり発音したりの練習をしています。それが受験勉強に結びつくかどうかなどおかまいなしで、本当の英語を身につけたくてがんばっているのです。ヨーロッパ語習得の一番上の段階に行きたいとまで言うのです。

次男が言いました。

「僕ね、畑の中の道を自転車で走りながら思ったんだ。僕が今まで生きてきたって、つまり、生かされてきたってことだよね。そのために、いろんな人のお世話になったし、いろんなものを食べてきた。食べ物の命をもらって生きてきたんだよね。だから、生きる目的って、感謝だと思うんだ。他の人に感謝し、食べ物に感謝し、地球の恵みに感謝して生きる。そうやって、みんながよりよくなることを願うことだと思うんだ」

次男は学校が求める勉強は嫌いですから、「出来の悪い子」という扱いになるのでしょう。でも私は、次男に、人は何のために生きるのかと聞いたのは間違ってはいなかったと思いました。

(伊藤一滴)

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