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ほっとする山里なのに、変わってゆく

仕事で山形市内に行ったら、全然雪がありません。長靴をはいているのは私だけ。なんだか、雪もなく晴れているのに長靴をはいているのも変な感じで、ホームセンターに寄ってサンダルを買いました。

山里の家はまだ雪の中で、公道から100mくらい雪の山道を歩いて出入りしています。長靴がないと行けません。さすがに雪は減りました。2階まで埋まりそうだった雪も、数十センチ程度にまで減りました。でもまだ車で玄関までは行けません。

何でそんな不便な場所に住むのかと言われそうですが、山の暮らしは、家族で助け合い、近隣の人たちと協力し合ってなりたっていて、精神的には街で暮らすよりずっと楽です。都会の「便利さ」と比べてどちらがいいかと言われたら、私は、不便な山里の古民家暮らしを選びます。

自動車に代表される文明の利器が、人々の暮らしを楽にしたかのように見えて、実は、多くの面で暮らしを壊してきました。少子化が言われます。子育てにお金や労力がかかりすぎるというのもありますが、たくさんの自動車が走り回る中で子どもを育てるのは楽ではない、というのも、子育てしにくい理由でしょう。赤ちゃんを背負ったり幼児の手を引いたりして近所の商店に買い物に行く時代は過ぎました。個人の商店が配達に来てくれる時代も過ぎました。自分も子どもを連れて自家用車に乗ってスーパーに行って買い物です。ますます車が増えます。

山里に越してきたばかりの頃は、ここは桃源郷のようだと思いました。しかし、ここ10年でいろいろ変わってきています。

私たち一家が山里に越してきた約10年前は、まだ、ふもとに店があって、ふもとまで下りればちょっとした買い物が出来ました。それが、この10年で、文房具屋兼雑貨屋、自転車屋、呉服屋(洋服も扱っていた)などが消えていきました。小学生の子どもの鉛筆や体操服まで、ふもとに下りてから川向かいに買いにいかないといけなくなりました。道路も整備されたし、どの家にも自動車があるので、それが可能になりました。週末に山形市や天童市のイオンに行って買い物する人も多いようです。

「便利」になり、それで人は幸せになっているのか、私は疑問です。地方の周辺部は、道路や水路が整備され、店はなくなり、収入を得られる場も限られ、みんな自動車があるので街に出ます。街に移住する人も多いです。

学校の統廃合が加速しています。小中学校はスクールバス送迎です。高校は親が自家用車で送り迎えするのが当たり前になりました。自家用車と携帯電話の普及がそれを可能にしました。便利な道具が普及して、親はますます忙しくなりました。こんな忙しい思いをするのなら、山形市に、天童市に、東根市その他に引っ越そう、という人も出てきます。

でも、私は街に行くと疲れます。山里に帰って来るとほっとします。この静寂が、鳥の声が、草木が、山々が、私を癒してくれます。山里やふもとの暮らしは変わらないでほしいのに、少しずつ変わってゆきます。止められません。

(伊藤一滴)

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