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大震災から4年 あの日も鉛色の空

今年は3月になっても寒い日が続いています。大震災から4年。4年前の3月も、3月とは思えないような寒い日の連続でした。

震災の年、長男は小6で、もうすぐ卒業式でした。次男は小4、娘は保育園児でした。3月11日、山形県の村山地方は、鉛色の空。冷たい風が吹いていました。

もうすぐ3時の休憩にしようと思っていたとき、突然揺れました。怖いくらい揺れました。地面の揺れがおさまってからも、道路沿いの電線が波打つように揺れていました。

そのときは、大変なことになったと思ったのですが、山形県内は、太平洋側に比べればそれほどの被害はありませんでした。夜になっても、次の夜になっても停電が続き、テレビを見ることはできませんでしたが、ラジオは、東北の太平洋沿岸部の重大な被害を伝えていました。多くは、津波による被害でした。

当地区でも余震が続きました。停電が続いたこと、物品、特に生鮮食料品やガソリンが買えなくなってしまったこと、混乱した中で卒業式を迎えたこと、卒業祝賀会や諸行事が中止になったことなど、いろいろありました。でも、私たち山形県民は、まだ我慢できる範囲内でした。電気が復旧し、テレビのスイッチを入れ、太平洋側の、どこまでも廃墟が続くような光景を呆然と見ていました。

不安な中で、それでも、被災地に支援物資を送る活動に協力しました。それくらいのことしか出来ない自分の非力さを思いました。

あれから4年。この国は、震災復興より株価や軍拡を重視し、原発を再稼働してゆくという方向に舵を切りました。民主党政権のときの脱原発の約束は自公政権によって反故にされました。そうした流れに、なんとなく流されてゆく多数の国民がいます。

今日も空は鉛色。私は複雑な気持ちで空を見ています。

(伊藤一滴)

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