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愛の反対 その2 恐れとエゴイズム

「愛の反対は恐れである」と言う人もいます。それも見事な答えです。

男女の愛だけでなくて、もっと広い意味での愛ですが、本当に愛するなら「愛には恐れがない」といえるでしょう。「恐れているのなら、それは本当の愛ではない」とも言えます。

国の権力が怖くて従うなら、それは祖国への愛でも何でもなくて単なる恐怖心からの服従です。本当に国を愛する人は、国の未来を思うがゆえに、時の政府の方針を厳しく批判することもあります。

親が、あるいは教師が、力づくで子どもを従わせようとするのは愛ではありません。子どもは怯えて従うだけです。そのような親や教師が子どもから敬愛されることはないでしょう。

「愛の反対は恐れである」

これは見事な答えだと思います。

私は、「愛の反対はエゴイズム」という答えもあるだろうと思います。愛とは、相手を大切にすることです。この相手は、人だけでなく、自然、理念、神なども対象です。エゴイズムは自分や自分たちを中心にした考えや行動で、このエゴイズムに毒されると、相手が見えなくなります。そこに傷つき痛む者、苦しむ者があっても、存在しないのと同じになります。存在しないのと同じですから「愛の反対は無関心」ともつながります。

「経済がよくなっているんだから、それでいいじゃないか」と言って、問題を見ようとしないのは、まさに、エゴイズムに毒された状態に思えます。経済最優先の結果、他者にどういう影響を与えているのかが見えなくなります。自然界に(特に放射能)、外国人に、世界の平和に、未来を生きる人たちに、いったいどのような影響を与え、それがどのように自分たちにはねかえって来るのか、見えなくなってしまいます。

今の日本は、愛の反対に向かっているように思えてなりません。

自分たちの未来にかかわる重大な問題への無関心や困難な状況に生きる人たちへの無関心。

恐れてはいけない者への恐れ。(これはマスコミの自主規制とも関係してきます。)

広くはびこるエゴイズム。

どれも、愛と反対の道に進んでいるように思えます。

私が、愛は大切だと思うのは、それが相手だけでなく、自分にとってもよいと思えるからです。相手も自分もよくなるなら、それがいちばんいいでしょう。

私がマザーテレサや宮沢賢治らを深く尊敬するのは、愛を大切にして生きた人だと思うからです。難しい理屈はありません。それだけです。

(伊藤一滴)

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