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国民が、軍の独走を支持した

「満洲が日本の権益下にあれば、我々の暮らしはよくなるんだ」といった国民世論が、軍部の独走を許す力となっていったのではないかと私は思うのですけれど、それって、なんだか今の日本の風潮と似てませんか?

「国民は何も言えなくされたんだ。国民の側に責任なんてない」と私の父(1934年=昭和9年生まれ)は言うのだけれど、父は国民学校に入った世代で、それはちょうど太平洋戦争に突入し、敗戦に向かう時代です。当時、今で言う小学生だったわけで、世論の戦争責任なんていう実感がないのでしょう。

何も言えなくされたといっても、だんだんにそうされたのであって、その前には、制限付きとはいえ、大正デモクラシーの時代もあったわけです。父は、その時代を体験としては知らない。

ある程度はものが言えた時代に、こんなんじゃあ駄目だと言った人もいたけれど、やがて、世論にかき消されました。権力の弾圧で言えなくなったのはもっとあとで、まず、世論にかき消されたと言うべきです。世論は軍の独走を支持しました。皆が皆、積極的な支持ではなくとも、無関心なままに、結果として是認した人も多かったのでしょう。そして、少しずつ、国民を規制する法律が整備されたり、運用が厳しくなったりして、批判を許さない体制が確立していったのです。批判できるときに、しなかった。批判した人もいたけれど、大衆の、軍部支持や無関心にかき消された。

満洲事変があって、戦争景気というか、一時的に景気がよくなります。「景気がよくなるんだから、それでいいじゃん」みたいな風潮。それって「なんとかのミクスで景気がよくなるんだから、いいじゃん」という今の風潮と似てませんか? 今、ねじれも解消し、どんどん危ない法律や解釈が通ってゆく。「戦前の日本を取り戻せ!」という勢力は、元気がいい。国民の支持や無関心に支えられ、とても元気がいい。「まっすぐに戦前回帰」ですか。

満洲事変当時の若槻内閣(幣原外相)は戦火を拡大したくなかったようだけれど、暴走する軍を支持する世論に押し切られるように退陣します。次の犬養内閣も、軍部の独走に批判的でしたが、五・一五事件に斃れます。ある程度はものが言えた時代から、だんだんものが言えない時代になり、まったく批判を許さない時代になってゆくのです。水風呂に入っていたのに少しずつ熱くなり、やがて茹でられてしまうみたいに・・・・。いきなり熱くなれば気づいて「熱い!」って飛び出せても、少しずつ熱くなっていって、気づいた時にはもう茹でられて動けないみたいな感じです。

軍を応援するような論調の新聞や雑誌が売れたそうです。新聞社や雑誌社も商売だから売れる記事を書く。それを読んだ国民が煽られる。国民がメディアを煽り、メディアが国民を煽って、互いに煽りあう。それがエスカレートするのは、最近の反韓・反中メディアと、どこか似ているような気がします。

要するに、国民大衆が日本軍国主義をつくったのだと言えます。大衆の支持や無関心がモンスターを育てたのです。少数の例外は別として、抵抗する国民を無理やり組み込んだのではない。大衆の支持や無関心の中で軍国主義体制が確立したのです。「こんなことになるとは思わなかった」というのは、あとからの話です。

戦前の国民は、学力水準が低かったのだから流されたのであり今とは違うと言う人もいるでしょう。しかし、今だって、なんとなくよさそうだからと危険な勢力を支持したり、無関心であったりして、違わないじゃないですか。私は、高校で習った範囲の歴史の知識と、その後新聞などで知った知識で上記を書いています。もう、ほぼ百パーセント近い高校進学の時代、普通に教育を受け、普通に新聞を読んでいる人ならみんな知っているような話です。それくらい、形としては、教育が普及しているのに、大衆は戦前とあまり変わらない。しかも今は、戦前とは比べものにならないくらい情報が公開されているのに。

まあ、現代人は忙しくなり過ぎました。しかも、紙の情報だけでなくて、電波や電子メディアでどんどん情報が入ってきますから、あまりにも情報が多すぎて、もう、頭の中が制御困難というか、何が本当なのかわからないみたいになってます。むしろ、昔のほうが、限られた情報から判断できたのかもしれません。

未来のことを考えたら支持してはいけない勢力を、目先の利益を期待して支持してしまう。「景気がよくなるんだから、いいんじゃない」みたいな中で大衆の支持を受けた軍部は暴走し、その勢いで、日本は、満洲建国、国際連盟脱退、泥沼の日中戦争、そして太平洋戦争といくわけです。太平洋戦争が始まった頃、これで景気がよくなると期待した人もいたそうです。今なら、原発再稼働や武器の輸出できっと景気がよくなる、みたいな感じですかね。あるいは、今の人は、自分が何か言ったって何も変わらないやって、あきらめてしまっているのか。そうしているうちにじわじわと熱くなって、気づいた時にはもう、冷やせなくなっている。

たとえ非力に思えても、駄目は駄目と言い続けるべきです。

ドイツの神学者で反ナチズムの活動家・マルティン・ニーメラー牧師の言葉に由来する詩『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』を引用します。(Wikipediaによる)

日本語訳

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

引用終了

「私が聞いた引用と少し違う」という方もおられるでしょうが、次のような理由です(Wikipediaより引用)。

引用開始

『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』は、ドイツのルター派牧師であり、反ナチ運動組織告白教会の指導者マルティン・ニーメラーの言葉に由来する詩。ニーメラー自身は原稿のないスピーチの中で成立してきた言い回しで、詩として発表されたものではないとしており、厳密な意味でのオリジナルは存在しない。この言い回しはおそらく1946年頃に生まれたと見られ、1950年代初期にはすでに詩の形で広まっていた。

引用終了

(伊藤一滴)

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