真実は勝つ
虚構の上に立ってどんな理屈をつけようが、虚構の上の権力がどんなに力をふるおうが、根底が虚構ですから、いつかは真実が勝ちます。
「真実は勝つ」というのは、15世紀にカトリック教会を批判して火刑に処されたヤン・フスの遺言です。ルターの宗教改革の約100年前でした。今でもフスは、ウィクリフと共に、宗教改革の先駆者として高く評価されています。それに対し、フスを抹殺しウィクリフの墓も暴いたという当時のカトリック教会を高く評価する人など、まずいません。こんにち、カトリック教徒だって、当時の教会がしたことを批判しています。
今の日本は、無理が通って道理が引っ込んでしまったかのようです。しかし、いつの日か、必ず真実が勝つのです。今後どれくらいの年数を要するのかはわかりませんが、最後には真実が勝つのです。ゆがんだ法解釈も詭弁の積み重ねも話のすり替えも愛国のふりをした暴走も歴史の評価に耐えるものではないのです。権力者が、いくら虚構を正当化しても、そもそもが虚構ですから、後の世に高く評価されることなどありません。真実だけが歴史の評価に耐えるのです。
マルクス主義もそうでした。かつては識者からも大衆からも評価され、一部の人は熱狂的に支持しましたが、結局、理論と現実の違いがあまりにも大きすぎて、今や滅びに向かっています。歴史は、誤謬を淘汰するのです。
もうひとつ、付け加えておきます。違う意見に耳を貸さず、ていねいな議論もせず、記者や野党に質問されると論点をずらしてはぐらかし、考えの近い仲間を集めて決めたことを強引に押し切るといった、原理主義者のような態度を「指導力がある」などど言うのでしょうか。小泉政権の時にも感じましたが、現政権はますますひどくなっているように思えます。こんなことが続けば、「何を言っても無駄だ」ということになり、あきらめる人や暴力に訴えようとする人が出てくるかもしれません。それは、言論活動の死です。
『平家物語』巻第一の「祇園精舎」に書いてあります。
祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。娑羅雙樹の花の色、盛者必衰のことはりをあらはす。おごれる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽、梁のしうい、唐の禄山、是等は皆舊主先皇の政にもしたがはず、樂しみをきはめ、諌をもおもひいれず、天下のみだれむ事をさとらずして、民間の愁る所をしらざしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。近く本朝をうかゞふに、承平の將門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼、おごれる心もたけき事も、皆とりどりにこそありしかども、まぢかくは、六波羅の入道前の太政大臣平の朝臣淸盛公と申し人のありさま、傳承るこそ心も詞も及ばれね。
(伊藤一滴)
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