戦時下を描くということ
夏休み中、家族で山形市内の映画館に行って話題の映画「少年H」を観てきました。
原作には厳しい批判もあります。それでも、興味深い作品ですし、映画の方はなかなかの力作でした。
水谷豊、伊藤蘭夫妻は2人とも関西出身ではありませんが、関西出身の妻が聞いても「まったく違和感がない」というくらいの関西弁をこなしていました。水谷豊さんがハサミで布を裁断したりミシンをかけたりする場面も熟練の仕立屋さんのように見えて違和感がありませんでした。よほど練習を重ねたのでしょう。俳優という職業は、徹底的にその役になりきるのですね。
戦後約20年経って生まれた私は、実際の戦争も空襲も知りませんが、これまで観た戦争中を描いたドラマや映画の中で、最もリアルに空襲を感じました。焼夷弾が突き刺さって発火する場面は、話には聞いたことがありましたが、撮影用の物とはいえ映像で見たのは初めてでした。私の世代でも焼夷弾というのが何か判らない人がいます。通常の爆弾は爆発させて周りを破壊するものですが、焼夷弾は油脂を撒き散らして発火・炎上させるものです。木造家屋が多い日本の街を延焼させ、被害の拡大を狙ったものです。
単行本の「少年H」は1997年に刊行されました。舞台美術家でエッセイストでもある妹尾河童(せのお・かっぱ)氏の自伝的小説です。戦時下の神戸を描いた興味深い小説です。
これに対し、児童文学者で戦時下の暮らしの研究家でもある山中恒氏から、多くの点でかなり厳しい批判がなされました。
誤りとされた点の多くは記憶違い、戦後に考えたであろうことを戦時中に投影している、言葉の誤用がある、出典を明記しないまま史料から引用し、しかも誤りもそのまま引用している、等々です。
私は、妹尾氏本人が訂正した明らかな誤記は別として、戦時下を描くときの視点が違うと思いました。
妹尾氏の作品は小説です。自伝風ではあるけれど、歴史的な記録としての自伝そのものではありません。一方山中氏は、戦時下の歴史的事実を正確に残すという仕事をなさってきた方です。氏は児童文学者であると同時に戦時下の史料の蒐集と編纂のプロだとも言えます。一方、妹尾氏は歴史研究のプロではありません。子どものときの記憶をもとに、山中氏の研究も含めた史料を参照し、戦争とはこういうものだという自分の思いを小説という形で描いたのでしょう。小説なのですから、当然、戦争について、戦後に考えたことの反映が戦時下の言葉に出てきたりもします。
お二人とも、戦時下を生きて、当時の庶民がどのような目にあったのかよく御存知の方なのですから、お二人の対立は残念です。
お二人にはそれぞれに「戦争をしてはいけない」というメッセージを世に送り続けていただきたいと思います。
(伊藤一滴)
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