« 宗教について思うこと | メイン | 補足:ジョン・ヒック氏のことなど »

宗教の成立と一神教の限界(宗教私論)

1.宗教の定義と本質
「宗教とは何か」と言われても、「宗教とはつまりこうだ」とは言えないですね。宗教の数だけ言い分があって、ひとまとめに出来ないからです。
「神を信じる信仰を宗教という」とする見解もありますが、仏教、特に原始仏教など、当てはまらない宗教もあります。それに、同じ宗教にも諸教派があり、教派による解釈の違いもあれば、同じ教派でも時代により、構成員により、見解が違うこともありますから。
見解の違うものをまとめて共通の定義を下すことなど出来ないので、諸宗教共通の宗教の本質はこうだ、なんて言えないんです。

2.宗教の分類
宗教は、アミニズム、多神教、一神教、その他といった分類もありますが、「民族宗教」と「普遍宗教」に分けて考えることもできます。
これは宗教の優劣の話ではありませんが、ユダヤ教や日本の神道などは特定民族の民族宗教で、世界の諸民族に広がってゆく宗教ではありません。それに対し、仏教、キリスト教、イスラム教などは普遍宗教で、特定の国や民族や時代を超えて広がっていきます。
外から入ってきた普遍宗教が、ある地域の中で俗化され、民俗的な宗教になっていくこともありますし、複数の宗教が交じり合うこともありますから、全ての宗教をはっきり線引きして分類することはできませんが。

3.宗教の起源
民族宗教というのは、もともとは民俗的宗教(この場合は「民俗」)として始まったものです。社会学で、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトという言葉を使いますが、ゲマインシャフトのほうです。あるいは自然集団(ナチュラルグループ)と呼んでもいいかと思います。
民俗的宗教は自然発生的で、それが特定の民族に広く広がったものを民族宗教(この場合は「民族」)と言っていいかと思います。日本語だと「民族」と「民俗」で、話がややこしいですけれど。
これも、宗教の良し悪しではありませんが、民俗的宗教およびその拡大版と言える民族宗教は自然発生の集団を起源とする性格上、社会の現状に対する批判的視点を持たないことが多いんです。
これも良し悪しではないのですが、普遍宗教はほとんどの場合、社会の現状に対する批判の中から生まれています。社会の中に何らかの理念を掲げて別の小社会の結成したものとも言えます。そういう集団が新たに出来ると、それは既存の社会秩序に対する挑戦と看做され、既存の社会から様々な圧力を受けたり、時には過酷な弾圧を受けたりしたのです。おそらく、長い歴史の中で、弾圧で消えていった普遍宗教の芽も多かったのではないかと思います。いろいろな条件が満たされれば、弾圧されることでかえって信仰の炎が燃え上がり、死をも恐れぬ熱烈な布教活動の展開となってゆくんです。こうして残った宗教が、弾圧し切れないくらい大きな勢力となったとき、権力はこれと妥協するほうが得策と考え、権力側の言い分もある程度飲ませた上で公認してきました。場合によっては、宗教の側が権力の公認を得るために、最初の理念をある程度曲げて迎合したこともあったのでしょう。お互いの妥協ですね。両者は共存を図り、聖権と俗権とが両立を目ざしたわけです。時には地上の権力の庇護を受けながら、俗権との共存を目ざした宗教が世界に広がる普遍宗教となっていった、と言えるのかもしれません。こんなことを言うと、普遍宗教を信じる人たちから叱られるかも知れませんが。

4.戦闘的、かつ帝国主義的宗教
普遍宗教の全てが一神教というわけではないのですが、近現代の思想に与えた影響の大きさから、ここでは特に一神教の中のキリスト教について考えてみます。
キリスト教は、今、申し上げた通りの普遍宗教の一つです。ローマ帝国の支配下にあった1世紀のパレスチナで、ローマ帝国による支配と、当時のユダヤ教社会の権力者の支配という二重の支配下にあった人々の中に芽生えた宗教です。
ナザレのイエスという人が十字架で処刑されたのち、彼こそ救い主キリストであると信じられ、この信仰はローマ帝国に広がり、普遍宗教の初期段階の常として弾圧を受けました。その後のキリスト教進展の諸条件については、浅学の私の及ぶ所ではありませんが、自らの主張の正しさを絶対的なものと信ずるキリスト教徒が過酷な弾圧にも屈せず勢力を拡大したのは歴史的事実です。やがてローマ帝国はこれを公認せざるを得なくなり、果ては国教化するに至ります。キリスト教は世俗の権力と結びつき、ある面で、この世の宗教、ローマ帝国的という意味での帝国主義的宗教となったとも言えます。
キリスト教が公認されやがて国教化される過程で、ローマ帝国の権力構造を模した教会組織化がなされたのではないか、と言う人もいます。絶対を信じて弾圧に屈せずに戦った戦闘的性格とローマ帝国的な権力構造を併せ持つのがカトリック教会だ、とする主張です。南米の神学者レオナルド・ボフの著書にも、控えめな表現ですが、こうした主張を感じます。ただし、カトリック教会は、ローマ帝国にみられた諸民族の神々に対する寛容政策は受け入れませんでした。自分たちが信じる唯一の神だけを認め、他の全ての神々を否定する絶対的な信仰でした。後にカトリック教会から派生したプロテスタント諸教会も、教派による特色はあるにせよ、大きく見ればこうした性格を受け継ぐ末裔と言えます。

5.キリスト教とマルクス主義の近似性
カール・マルクスはユダヤ教徒の家に生まれ、キリスト教を学び、後に唯物論者になりました。マルクスの著作には、キリスト教の影響や宗教を意識した表現が多数見られますが、マルクスの研究者の多くが「マルクス主義者」なので、宗教への無理解によって見落とされることも多いです。社会主義革命と共産主義社会の到来は、最後の審判や神の国の到来を説くキリスト教の教理を思わせるものがあります。広い意味では「マルクス主義はキリスト教の異端の一派」と言ってもいいのかも知れません。マルクス主義は「科学」を主張するのですが、実験や観察によって証明する科学性はなく、むしろ、最初から答えがあってその答えに好都合に現実を解釈する原理主義的な宗教性を感じます。
レーニンはカトリック教会の組織構造を参考にしてボルシェヴィキ(後のソビエト共産党、赤軍)を組織していった可能性があるとする説も、レオナルド・ボフの著書で知りました。戦闘的性格とローマ帝国的な権力構造を併せ持つカトリック教会は、上意下達の戦闘集団のモデルとして好都合だった、というわけです。私は、この説の正誤について断定的なことが言えません。断定するだけの知識がありません。ただ、興味深い指摘ですから、そういう説もあると紹介だけしておきます。
キリスト教とマルクス主義は全く異質のようでありながら、実は、似て異なる兄弟のようです。

6.残る宗教、消える宗教
近現代のヨーロッパ人は世界の各地を侵略し、支配し、住民にキリスト教の信仰を強要しました。かつて日本は朝鮮、台湾を併合し、アジア各地に軍を進め、支配地域に神社を建立しました。両者は似ているようですが、日本の敗戦によってアジア各地の神社は消滅したのに対し、ヨーロッパ人がアジア、アフリカ、ラテンアメリカ各地に建てたキリスト教会は消えず、今も現地の人々に広く信仰されています。その違いは何でしょう。
支配期間の長さもあるでしょうが、それだけで説明するのは無理だと思います。それは「民族宗教」と「普遍宗教」の違いなのでしょう。神道のような民族宗教は、国や民族を越えて信仰される普遍性を持っていないのです。日本が被支配下の人たちにもたらしたのは、明治以降に国家によって整えられた神道であり、自然発生的な民俗的宗教そのままではありませんが、その起源は民俗的なものでした。先ほど申し上げた通り、こうした宗教の場合、宗教の優劣の話ではなく、そもそも社会に対する批判的精神が乏しいのです。民族宗教は特定民族の信仰であり、たとえ強要しても世界に広がることはないのです。
それに対してキリスト教は、その起源は支配下の人々の中に発生した宗教で、たとい歴史の中で初期の輝きを失ったかのように見えても、聖典に明記された初期の理念を完全に消し去ることはできません。社会の現状に対する批判の中から生まれた宗教は、強要されたものであったとしても、被支配下の人民に根付き、やがて教えを伝えた支配者に対抗して戦う原動力ともなるのでしょう。
マルクス主義も民族や国境を越える点では普遍宗教と似ていますが、マルクス主義者が少数派のうちはともかく、マルクス主義を掲げる共産党が権力の座に就けば、社会の中における別の小社会であったものが社会そのものとなり、腐敗し、堕落し、自ら滅びてゆくのです。我々はソビエトや北朝鮮にそれを見ます。
中世ヨーロッパの教会も、社会そのものと言えるでしょうが、素朴に神を信じていた人々は、腐敗・堕落で滅びるより先にこれを正そうとしたのでしょう。神を否定し、共産党のトップが神のように君臨する社会主義国家では、もはや正す力は働きません。それが普遍宗教と似非宗教の違いだと言えます。

7.一神教の限界とその超越
では、キリスト教のような一神教、普遍宗教が「正しい」のでしょうか。私たちは、キリスト教に、自らの教義の絶対性を越えることが出来ない限界を見ます。
カトリック教会の場合、第二バチカン公会議以降、他宗派や他宗教との対話路線に転じ、教会の刷新をはかってきました。カトリック教会の共生の方針は画期的なもので、各方面から高く評価されています。プロテスタント神学においても、有名なところでは晩年のカール・バルトやモルトマンなどに、また、パネンベルク、カブ、マーコリーをはじめ、多くの神学者に、キリスト教以外の教えの中にも真実性や救いを見出そうとする方向性があると指摘されています。
しかし、他者に寛容な神学であれ、キリスト教の神学である以上、唯一の神を信じる絶対性は譲ることが出来ません。キリスト教の神が絶対であり、それ以外は間違い、ないし不完全ということになり、理論上、正しくない相手や不完全な相手を正すのではなく、これを認めて共生するという矛盾が生じ、そこに限界も見えてくるのです。たとえば、「神は多くの名前を持つ」とし、ゴッドもアラーも同じ存在の別な呼び名という宗教的多元論からキリスト教の絶対性を越えることを模索した神学者ジョン・ヒックは、自分自身、伝統的なキリスト教の内部にとどまることが出来ず、後に仏教的な見解を表明するようになりました。
今日、他者との共生を説くカトリック教会や、プロテスタント内の寛容な教派は、「誠実に生きている仏教徒も救いの内にある」と考えています。しかしそれは仏教の正しさを認めてではなく、誠実に生きている人間をキリスト教の神は救う、だから救いのうちにある、という考えなのです。それすら認めず、キリスト教徒以外は全て地獄に行くと言って憚らないファンダメンタリスト(原理主義者)もいます。キリスト教徒にとって、唯一の神、唯一のキリストの贖いという絶対性は譲れないのです。
キリスト教の限界は、よく誤解されるような人間中心主義ではなく、絶対性を越えることが出来ないという点にある、と言えるのではないでしょうか。原始キリスト教の担い手たちも、中世ヨーロッパの人々も、人間中心主義ではありませんでした。人間中心主義はキリスト教の伝統から逸脱した近代思想であり、むしろ、キリスト教の異端思想というべきものでしょう。
キリスト教は自らの絶対性を越えることが出来ず、もし越えたなら、それはキリスト教ではないということになるのかもしれません。それでも私は、不寛容でも排他的でもなかった世々の聖者のことを思います。最近の人を例を挙げれば、特にマザー・テレサのことを思います。
マザー・テレサは疑いもなくカトリック教徒でしたが、彼女は死に瀕したヒンズー教徒の手を握り、一緒にヒンズーの祈りを唱えながら看取ったといいます。キリスト教原理主義者の目には偶像崇拝への協力と見えるかもしれません。しかし、それは、個人のレベルにおいては、一神教の絶対性を感じさせない精神の高みに達することが出来るという例なのでしょう。
(伊藤一滴)

コメント

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。