被災地
山形県でも余震が続いています。
かなり大きな余震もあり、娘(5歳)がおびえて泣きそうな顔になり、私も困っています。
本当に、「方丈記」に出てくる天変地異を思わせるような毎日です。
先日、宮城県の被災地に行ってきました。
仙台市内の工務店から、見てほしい被災建築物がある、どう修理したらいいか意見を聞きたいと頼まれ、取引先の業者の運転で行って、見て来ました。
その建物自体は津波を受けておらず、地震による軽微な損傷だけで、修理と補強について私の意見を述べてきました。
すぐ近くなのに、津波を受けた場所とそうでない場所で、まるで違った光景でした。
津波を受けていない場所は、ある程度は被害が出ているとはいえ、日常とそう大きく違わないように見えました。それに対し、津波を受けた場所は、まるで戦災の焼け野原の写真を見るような光景なのです。
焼けていないけれど焼け野原のような、それは、なんとも形容しがたい光景でした。
建物はことごとく倒壊して形なく、つぶれた屋根に大木やひっくり返った自動車が乗っています。津波の直前までそこにあったであろう日常はみな破壊され、ちぎれた建材や家具やつぶれた自動車や、鞄や服や片方だけの靴、魚網、船の一部らしきものなど、あらゆるものが、砂や泥にまみれ、見渡す限りに散らばっているのです。
私はただ、手を合わせるしかありませんでした。
頼まれた建物は、修理と補強をすることになったので、準備が出来しだい業者と一緒にまた行って来ます。
(伊藤一滴)
被災地に行ってきました。仕事上かかわりのある方たちと、避難所や現場をみて話をきいてきました。
お祭り騒ぎのような「支援隊」の動きが、私にはなんとなく異様な光景に映りました。そしてそれとは対照的な、被災した人たちの居住まい、たたずまい・・・・。その雰囲気をまるごと感じながら育つであろう子どもたち・・・・。
これからが、本当に長く苦しい復興の道の幕開けだな・・・と感じて帰ってきました。お祭りが終わってもなお、現地の人の現実の生活は延々と続く。そのことをよくよく考えて、自分のできることをやり続けなければならない・・・・そんな静かな思いが少しずつかたまり、なんとも切ない、悲しい気持ちになっています。
それでも人は、生きていかなければならないのだと。ジネント、ジネント・・・
投稿: ぱく | 2011-04-17 08:13
宮城県内での仕事を終え、帰って来ました(また呼ばれたら、また行きます)。
東日本大震災による被災に対し、私の仕事の第一歩は、比較的損傷が軽微であった建物の修繕と耐震補強でした。
私が担当したのは津波の被害を受けていない場所なので、修繕と補強が可能でしたが、さほど遠くない場所で、津波で多くの人命が失われ、街並みがすっかり消えてしまったことを思うと胸が詰まります。
まず、被災者の当面の生活の確保が必要でしょうが、長期的に求められるのは単なる復旧ではなく、災害に強い社会、災害に強い生き方への転換であろうと思いました。
どこまで、理想的に進むのか、わかりません。
長い道程でしょうが、私も、自分にできることをやりながら進みたいと思っています。
(伊藤一滴)
投稿: 一滴 | 2011-04-22 16:51