管理を厳しくすることで問題を解決できるのか
何か問題が発生すると、管理を厳しくすることで解決しようとする動きが必ず出てきます。
そのような問題がなかった昔の状態に戻してみよう、とはならないのです。
技術的なことであれば、いったん「進歩」したものを、それ以前のやり方には戻しません。だぶん、それは敗北なのでしょう。問題が起これば、さらに進歩させて解決しよう、となるのです。
その1:建築基準法「改正」
私は、昨年から農業もしていますが、今まですっと建築士として働いてきて、建築の設計や施工の現場を見てきました。
A元建築士による構造計算書偽造事件(俗に言う耐震偽装事件)が発覚して以来、日本の国土交通省およびその下の建築行政はまさに、建築士に対する管理を厳しくすることで問題を解決しようとする姿勢そのものになりました。
2007年6月の建築基準法「改正」(実は大改悪)以降、締め付けがますます厳しくなり、廃業した業者も多数ですが、それでよくなるどころか、状況はますます悪化しています。
管理が厳しすぎて余計な手間ばかり増え、肝心の設計に集中できないような状態です。
建築の設計者にとって重要なのは「いい設計をすること」ではなく、「確認申請を通すこと」になってしまいました。つまり「確認申請を通すことが、いい設計より大事」という、本末転倒の状態です。どんなにいい設計でも、確認申請が通らないのではお話になりませんから。
最初の建築基準法は1950年に施行されましたが、それ以前のすぐれた建築の数々や、施行後でも、今のように改悪された法律が厳格に適用される以前に建てられた魅力的な建築をうらやましく思います。
よりよい建築を建てるために必要なのは徹底した管理ではなく、設計者や施工業者が、施主に喜んでもらいたいと願い、仕事に誇りを持って働ける環境でしょう。
管理の強化でいい建築が建つどころか、建築従事者の労働環境は悪化し、書類ばかりがどんどん分厚くなり、現場は殺伐とし、建築はずさんになっています。
「改正」が悪徳業者の排除に結びつかず、むしろ、優れた技術を持つ設計者や施工業者、良心的な建築物を建ててきた人たちが廃業していきました。
第二次大戦中に良心的な言論人が論壇を去ったり筆を曲げたりしたのを連想してしまい、なにか、ファシズムに向かっていくような、いやな感じです。
その2:鳥インフルエンザ
鳥インフルエンザ問題で養鶏場の管理が厳格化されるようです。
報道では、野鳥がウイルスを運んでいるとのことですが、自宅でラジオのニュースを聞きながら、私は、
「そんな馬鹿な!」
と、声をあげてしまいました。
だって、野鳥が原因なら、中島正氏の『自然卵養鶏法』[農文協]に書いてあるような昔ながらの養鶏場で真っ先に感染しそうなものなのに、もっぱら近代的・工業的な養鶏場で鳥インフルエンザが発生し、昔ながらの、それこそ「時代遅れの」養鶏場で発生したためしがないのですから。
たとえ野鳥がウイルスを運んでいるにしても、それが感染し、拡大する環境が「近代的養鶏場」なのでしょう。
私は、自家用の卵を得るために鶏を4羽飼っています。今は雪の中ですが、ニワトリ小屋の中は土間(本当の土の土間)ですから、鶏たちは土の上を歩いています。野鳥が来て、こぼれたエサを食べることもあります。私は野鳥たちを眺めるだけで、追い払ったりはしません。
ふだん野鳥と接触しているわが家の鶏たちは、みな、元気です。
「鶏の飲み水は消毒したものを使うように指導」ですって?
わが家の鶏は、時々自分たちの飲み水の容器の中に糞をして、糞の溶けた水を飲んでいることさえありますが、病気ひとつしたことがありません。もちろん水は毎日換えていますが、水の消毒などしたこともありません。
鶏に必要なのは、新鮮な外気と、自然の光と、水と、青菜と、土の上での運動でしょう。
効率は悪くとも、前近代的な養鶏のほうが鶏にいいだろうし、卵の味が全然違うので、人間にもいいでしょう。
大量の鶏を狭いゲージにぎゅうぎゅうにつめこんで外気も遮断しておきながら、養鶏場の管理を厳格化することで問題に対処しようとするのは、なにか、根本的に間違っていませんか?
そこまでして、卵の安値を追求しないといけないのでしょうか。
上に私にとって身近な例を2つ挙げましたが、「管理を厳しくすることで問題を解決できるのか」と、全国の学校、官庁、各種団体や企業を運営する人、医療や福祉の場、その他いろいろな所に問うてみたいです。
(伊藤)
医療現場もしかりです。
ミスをしないために、訴えられないために、管理義務が次々に課せられ、説明をしたことの証明となる紙、承諾をとる紙、管理の記録をとる紙、紙、紙、紙・・・書類の作成に時間をとられ、患者を診る時間がありません。
ベッドサイドで患者さんによりそい、患者さんの苦しみや痛みをわかろうとする医療者より、リスクマネージメントがきちんとできて、記録をしっかり残すことにばかりきゅうきゅうとなっている医療者のほうが評価され、失敗がなく、訴えられることもありません。誰のための書類?誰のための医療でしょうか?
患者のために良質な医療を提供しようと真摯に取り組む医者はつぶれていきます。看護師はサラリーマン化する一方です。
システムの問題なので、それら個人を責めてもしかたがない。医療現場に蔓延する閉そく感は、締め付けの厳しさもありますが、現代社会の他罰的傾向、他人の過ちを全く許さない傾向、医療(科学)を完璧なものと誤解している社会、そんなことも影響しているように思います。
アメリカさながらの訴訟社会がそこまで来ているような気がします。
少年犯罪に対する厳罰化と少年法の改正も、しかり。そもそも治安維持的、社会防衛的視点からの排除だけでは、問題は解決しないのです。
投稿: ぱく | 2011-02-09 12:48
鳥インフルエンザに関して、全く同意見です。
我が家では、六坪の平飼い鶏舎に烏骨鶏二十二羽(坪四羽未満の超薄飼い)。
四羽の名古屋種と三羽の薩摩鶏を放し飼いにしていますが、一年中、野生の小鳥達と一緒に過ごしながら、薬剤不使用で病気知らずです。
多くの養鶏家が人工的な飼育方法にひた走るのは、飼育数(収入)を減らしたくない、養鶏家のエゴの発露でしょう。
この流れは変わらないと思います。
安ければ良しとする、消費者側の問題です。
私は以前、平飼い自家配給与(緑餌多給)で生産した卵(鶏種ボリス・ブラウン)を地元の直売所に価格十個二百五十円で出荷していました。
餌や手間を考えれば、バーゲン価格です。
本音では、一個五十円以上は頂きたいところですから。
しかし、殆ど売れませんでした。
ケージ完配飼いの卵が二百円なら、そちらが売れるのです。
程なくアホらしくなり、出荷を止め、羽数を減らし、現在では自家消費及び身内に分けるだけの生産をしています。
人工養鶏に異を唱えたところで、欲呆けした連中が耳を貸すわけもなし…
中島正先生がおっしゃるように、少羽数・庭先養鶏が増えればよいのですが…
鳥インフルエンザに怯える欲呆け連中の差し金で、庭先養鶏が迫害(放し飼い禁止とか…)を受ける日が来るのではないかという事だけが目下、心配です。
投稿: KAZU | 2011-02-25 16:10