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神谷美恵子のこと、再び

去年の春、「神谷美恵子批判に答えて」という題で、思うことを書きました(2009.4.22)。
世の中に漂うイライラした風潮が嫌で、頭に浮かんだことを書きました。
出先のパソコンを借りて、休憩時間に書きました。手元に資料がなく、即興で、引用なども記憶で書きました。じっくり調べて書いた文章ではありませんが、私の正直な気持ちです。

苦しんでいる人、困っている人を見ても知らんぷりしてかかわらなかった人は何も咎められず、助けようとしてかかわった人が厳しい非難を浴びせられるのは、おかしい、と思ったのです。
日本はいつからこんなにも人の善意に不寛容で攻撃的な社会になったのかと、悲しい気持ちでした。

不景気が続いています。近年、いろいろな方面で管理が強化され、人ががんじがらめにされる世の中になってきています。そうしたこととイライラした風潮は関係しているように思えます。
だからこそ、人は助け合うべきなのに。

去年の春に書いた「神谷美恵子批判に答えて」は、このままスクロールしても読めません。私がそうしているのではなくプロバイダー側の設定です。書いてから1年数ヵ月過ぎると、スクロールしただけでは読めなくなるようです。「ブログ」の形式にまかせているもので・・・・、すみません。

関心のある方はグーグルの検索で「ジネント山里記 神谷美恵子批判」と入れると出ますので、ご覧になってみて下さい。

神谷美恵子は多彩な人です。同時通訳、翻訳、詩作、文芸評論、教育、カウンセリングなど、どれも一流の仕事をやっています。精神科医でもありました。

精神科医として、ハンセン病と精神病を重複して患う人たちにかかわりました。
神谷美恵子の発言や著作に、当時の「らい予防法」に基づく諸政策への批判的言及がないことなどを非難している人たちがいます。中には、ハンセン病の当事者でもないのに彼女を揶揄したり罵倒したりする人もいます。
不愉快ですし、悲しい気持ちになりました。
 
神谷美恵子も人間です。偉大な人だけれど、人間です。神様でも仏様でもありません。
当然、人間の限界があります。生まれ育った環境や、生きた時代の限界もあります。

自分とは違う状況で生きた人の問題点(現代の視点から見た場合の問題点で、当時の社会ではそれが問題であるという認識が一般的ではなかった)を探し出してあげつらうのはどうかと思います。一人の人間としての限界、環境や時代の状況から当然受けたであろう影響も考えた上で、その人を全体的に見ないと。

最近、無記名の方からコメントを頂きました。その方は、神谷美恵子を批判している人が同じ時代を生きたとしたら彼女以上の行為ができたろうか、という意味のことを問うておられました。

「らい予防法」の問題点が社会一般に広く知られるようになったのは、1990年代になってからです。
神谷美恵子以上の行為どころか、批判者が今やっているような「らい予防法」批判を、神谷美恵子が活動していた1950~60年代にできたのだろうか、と思います。
(伊藤)

コメント

昨年書かれたものと合わせて拝読しました。
他罰的で不寛容な世の中の傾向は、強まるばかりと感じます。
医療現場でも、「後からケチをつけられないために」何をするにもまず承諾書をとる、ガイドラインに沿わないことはしない。「良かれと思って」なんてもってのほか。・・・・「医は仁術」と言われた時代は遥か昔のことです・・・
短絡かもしれませんが、グローバリズムとやらの波にのみ込まれた形で、効率優先、経済主導、知性至上主義が横行していることと無縁とは思えません。
神谷美恵子は人並み外れた優れた知性の持ち主ではあったでしょうが、それ以上に、人間としての苦悩と常に向き合いながら、情と意においても深く優れた人だったということ、そのことにもっと注目されてもいいと思います。
ナイチンゲールもジャンヌダルクも、マルクスアウレリウスもヒルティも、伝記や作品の中に結晶化された人格以外の、人間臭いさまざまな苦悩をかかえていたであろうことは、容易に想像できます。
それでもなお、我々を魅了してやまないのは、その一面性だけで語りつくせないであろう深みを、その背後にもっていることが隠しきれない魅力となってあふれ出ているからでないでしょうか。
神谷美恵子その人の魅力は、私にとって年を追うごとに、鮮やかで深いものになっています。

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