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「無限の可能性」と言うけれど

小学校のPTAの文集に「子どもたちに贈りたい言葉」を書いてほしいと頼まれ、さて、何と書こうかと考えてしまいました。
なにせ、「あらゆるものがある。ないのは希望だけ」と言われる今の日本ですから。

私、昨年度、ある団体の役員をしていました。それで、地域の小学校・中学校の入学式や卒業式に招かれ、出てました。
式典には、校長先生はもちろん教育長とか教育委員長とか、偉い先生方が何人もいらしていて、児童・生徒らに向かって、
「君たちの前には無限の可能性があります。云々」
といった意味のことをおっしゃっておられました。
そりゃあ、あなた方は、ずっと教育の仕事をしてきて生活に困らないだろうし退職後も高額の年金が保障されることになっているけれど(日本の経済や政府が破綻しない限り、ですが)、ここにいる子どもたちはどんな未来を生きることになるのかと思いながら聞いていました。

今は、昔と違い、子どもが家業を受け継ぐのが当たり前とされる世の中ではありません。自由です。まさに、無限の可能性があります。
でも、「無限の可能性がある」というのは、がんばってもどこにも就職できない可能性もある、とも言えます。うまく就職できても過酷な労働現場で体を病んだり精神を病んだりする可能性もあります。そうした可能性も含めて「無限の可能性がある」のです。

今、子どもが親の職業に縛られることはあまりないでしょうが、親が生きたのと同じような道を自分も生きれば安全だという保証もなくなりました。
今は、農家に生まれたとか、魚屋の家に生まれたとか、職人の家に生まれたといった生まれはもちろん、学歴や資格もその人の生活を保証してくれません。本人の側に落ち度がないのに生活が成り立たなくなる可能性も含めて、まさに無限の可能性の中で、若い世代は生きています。

さて、どんな言葉を子どもたちに贈りましょう。
事実を偽って、嘘の、空しい希望など語りたくないですし・・・・・。

そもそも人生というのは、思い通りにはいかないものです。はじめから計画的になどいきません。だから不幸かというと、そうでもないですが、計画的にいかないものを計画的に進めようとするから無理が起きるのです。そうした無理の結果は多くの場合不幸です。
「小さいときから子どもに計画的に勉強させて、いい学校に入れて、いいところに就職させれば幸せになる」みたいなことがずいぶん言われてきましたが、実際にそうやって「いいところ」に就職したのにそれほど幸せを感じないとか、世の中が変わって、これまで確実とされてきたことがガラッと変わったとか、起きるのです。

昔からあったのでしょう。苦労して徳川様にお仕えする身分になったけれど、思っていたのと違う、そのうち明治維新になってすべて失ったとか。第二次大戦中に苦労して軍の将校になったけれどたいしていい思いもせず、間もなく敗戦になって公職から追放されたとか。

こういう地位や身分を手に入れれば一生幸福だなんて決めてかかると、それを手に入れることが出来なければ不幸だということになるし、手に入れても、想像していたのと違うとか、時代の変化の中でその地位や身分が役に立たなくなったとか、そういうことになると、やっぱり不幸だということになってしまうわけです。運にも時代にも恵まれ、すべて思い通りにいく人なんて、いったいどれくらいいるのでしょう。まずいない、といってもいいくらいです。こうすれば幸福になれるなんて決めてかかると、ほとんどの場合、どっちに転んでも不幸です。

名門大学出身で、30代、40代になった子どもが、年老いた親に向かって「私の人生を返せ!」と詰め寄ったりすることになるのです。

人生というのは、そもそも思い通りにはいかないものだと割り切って生きるしかないのでしょう。
どういう運命が待っているのかわからないから、生きることのおもしろさもあるのです。人生がすべてわかっていたらおもしろくもないでしょう。
もちろん困難もあります。困難もあるから人生はおもしろいのだと、これも、割り切るしかないのでしょう。

日本の経済が順調であれば、私は山里に移り住むこともなかったろうし、農業を始めることもなかったでしょう。バブル崩壊後の、それまでの常識が通用しない中、私は人生設計を大きく変えました。それで不幸かというと、そうでもなくて、建築の仕事で儲けていた頃よりむしろ幸せの度合いは大きいです。
山里に暮らし、農作業をすることが、こんなに楽しいとは思いませんでした。

誤解されるといけないのですが、私は、人生をあきらめろとか、投げ出してしまえとか言いたいのではないのです。本の題名にもあったけれど、「がんばらない」、そして「あきらめない」。そんなに張り詰めないでもっと肩の力を抜いて生きようよ、と言いたいのです。今の時代は、これまでの価値観が崩れていく時代ですから、生き方を考えるのにはまさにいい時代だと思います。
(伊藤)

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