「悪夢「20XX年日本破綻」」でも
前回、3月7日(日)の朝日新聞1面に「悪夢「20XX年日本破綻」」という記事が載ったことを書きましたが、記事内容には特に触れませんでした。記事を読んでいない方もおられるでしょうから、抜粋・要約して紹介します。
20XX年のある週末の夜、首相の緊急会見。
「・・・・日本の財政は破綻の危機です。本日、国際通貨基金(IMF)に緊急支援を要請し、関係国と協議に入りました」
数ヵ月前から国債の引受先を決める入札が不調に終わるようになっていた。
財務相は消費税を「当面25%にします」と語った。
会見の最中から円安ドル高が加速、週明けには国債が投売りされ、長期金利は跳ね上がり、株価は過去最大の下落幅となった。
「お札は紙くずになる」「預金封鎖がある」といったうわさが流れ、銀行は長蛇の列、人々は金塊や宝石を買い求めようとした。
輸入品などの物価が高騰。ガソリンは連日リッター10円以上のペースで値上がり、食料品の価格は2倍以上に。カードや電子マネーは使用不能。
工場の操業停止や解雇が相次ぎ、銀行は国債暴落で巨額の損失。金融システムも混乱し、誰も制御できなくなった。
とまあ、このような記事ですが、この予想は甘いかも知れません。実際はもっと深刻な事態になるかもしれません。
国の借金が今約900兆円として、今後も数年で100兆円以上借金を増やしていけば、そう遠くない先に国の借金が国民の総資産を越えてしまいます。それ以前に、何らかの引き金で破綻の連鎖が止まらなくなる可能性もあります。
「食料品の価格は2倍以上」くらいで済むのでしょうか。日本の食糧自給率は約40%。ガソリンや軽油で農機具を動かし、外国産の肥料や農薬も使って40%です。急激な円安と大混乱の中、順調に貨物機や商船が行き来して海外から食料が運ばれ、トラックでスーパーまで持って来るんでしょうか。燃料は買えるのでしょうか。送電だって平常どおりにいくのでしょうか。停電になれば冷蔵庫が使えなくなって肉や魚が腐るだけでなく、さまざまなシステムが電子制御化されている今、電気が止まれば全部止まります。
明治維新や第二次大戦を生き抜いた人たちには、今よりずっと生きる力がありました。水道も電気もガスもなくても生きていけました。20XX年の人たちにそうした力を期待するのは無理でしょう。
未曾有の修羅場となるのかも知れません。
日本の破綻は、たぶん、避けられないでしょう。
だからといって、悲観しなくてもいいと思います。
人はいつかは死にます。国が破綻しなければ無限に生きるというわけではありません。皆、いつかは死ぬ身である以上、生きている日々を精一杯生きるべきでしょう。たとえ、生きにくい時代であっても。
私もいつかは死ぬ身、人生に悔いを残したくありません。
ターミナルケアの先駆者として多くの患者を看取ったエリザベス・キューブラー・ロス先生の言葉を思います。末期患者の中には、医者あるいは弁護士として成功したといわれる人もいました。そうした人たちが死を前にして「私は本当には生きてきませんでした」と言うのだそうです。「本当に生きるってどういうことですか?」と問うエリザベス先生に、「私は、本当は大工になりたかったのです」と答えたというのです。
大工は一つの例で、電車の運転士とか、コックさんとか、いろいろあるでしょうけれど、自分が本当にやりたいことより社会的地位や収入を優先し、その結果、死を前にして後悔する、というのは不幸です。
私は、他者と自分を比べ、あの人がうらやましいとか、あの人より自分はマシだとか、思うのをやめました。
現金収入はたいしてありませんが、つつましく暮らせばそれで十分。比較ではなくて、自分は、自分として納得のいく人生をおくりたいのです。
生き方が、社会の状況に、かなり左右されることはあります。私も、人生設計を大きく変更しないといけなくなりました。結婚した当時、私は田舎の設計事務所で建築設計をして生きていくつもりでした。大規模な設計はしなくとも、地域に根ざしてつつましくやっていくつもりでした。ところが1990年代以降のこの国の経済の激変と法令の「改正」の数々、その他の諸事情で、地方の小さな設計事務所など成り立たないみたいになってきました。
でもそれはそれ。塞翁が馬といいますが、悪い事が起きてもそれがいい方に転じることもあります。道をふさがれたら、こっちが生き方を変えるだけです。自分が本当にやりたいことは唯ひとつというわけではありませんから、その時代の状況の中で、自分の適性や環境をふまえ、やることを選べばいいだけです。
私は山里の古民家に転居し、就農することにしました。
フランスのリジュのテレーズ(小さきテレジア)という修道女が言っています。「私は困難に出会ったら、その上を飛び越えようとは思いません。むしろ、ますます自分を小さくして、その下をくぐり抜けようと思います」と。今の日本の状況でこそ、困難を乗り越えなくていい、くぐり抜ければいいというテレーズのような柔軟さが必要となるのでしょう。
このように思うので、日本の破綻はたぶん避けられない状況でも、悲観しなくていいと思うのです。
でも、私自身はともかく、まわりで大勢の人が死ぬようなことになればつらいでしょう。たぶん、必死になって荒地の開墾を説くでしょう。あとは、そのときにならないと、わかりません。
もし、私の予想が外れ、経済破綻の日など来なくとも、それはそれで、人はじわじわ、産業文明に追い詰められていくのでしょう。若年層は先の世代のツケを払うだけの一生となり、極端な世代間格差社会にもなるでしょう。そうなれば経済の破綻より先に人間が崩壊するかもしれません。どっちみち、変わらなければならないのです。
厳しいのはわかっています。しかし、未来が、より人間的な方向に向かうことを願いながら、私は、悲観することなく生きていくつもりです。(伊藤)
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