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延命や終末期医療を考える上で

例の『ブラックジャックによろしく』は、「末期がん」の問題も扱っています。思ったことを少し書きます。

誰でも、いつかは、必ず死にます。
およそ、この世に生を受けた者で、死なない者はいません。いつか必ず死の時が来ます。誰も逃れることは出来ません。

洋の東西を問わず「死を思え」と言われてきたのにみんな逃げたがります。考えたくもない、という感じです。でも、みんなにやってきます。金持ちにも、貧乏人にも、権力者にも、庶民にも。
多くの人は、正面から死というものに向き合ってこないので、そのときが近づくと、あわてふためくのです。でも、現代社会の状況が死を遠ざけて見えにくくしているのだから、現代人を責めるわけにもいきません。

私は、医学や医療を否定するわけではありません。しかし、どれほど医療をつくしても、皆、いつかは必ず死ぬのです。

死について、先人たちは、おそらく様々な角度から熟慮を重ね、それぞれに答えを出しています。
いくつか例を挙げてみます。

「人は病気のときは、その病気が重いか軽いかにかかわらず、一心に自分の死について思うべきである。・・・医薬は人の寿命を延ばしはするが、寿命の質そのものを高めてはくれない」(伝・善導)
現代の感覚では、たぶん、こうでしょう。「病気の時こそ、その病気が重いか軽いかにかかわらず、自分の死について考えるチャンスなのだから、じっくり考えてみればよい。・・・延命のための医薬は、寿命の時間を延ばしはしても寿命の質そのものを高めてはくれない」

「災難にあうときは、あうのがよい。死ぬときは、死ぬのがよい。これが災難を避ける一番の妙法です」(良寛)

「南ニ死ニソウナ人アレバ 行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ」(宮沢賢治)

「その人が消滅するという意味での死というものはありません。この地上での肉体の死は、次の段階への移行です」(エリザベス・キューブラー・ロス)

これらはいくつかの例ですが、死についての考察は、いろいろな人たちから、もう出つくしたのではないかと思えるくらい出ています。あとは、自分が、自分自身の死や、家族や親しい人の死を、どう受け入れるかなのでしょう。(伊藤)

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