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8月の近況

山里も、8月半ばの10日間くらいは、けっこう暑い日が続きました。
それでも、山形市内から来た人は「ここは涼しいね」と言うんです。
山形市内の気温が35度でも、山里は31度くらいでした。この4度の違いは大きいのでしょう。私は31度でもかなり暑いと思いましたが、それで暑いなんて言っていたら、もっと暑い所の人から叱られそうです。
日中は30度を越えても夜は気温が下がるので、エアコンや扇風機なしでも気持よく眠れました。今年も蚊帳を吊って寝ました。1歳8ヶ月になった娘は、最初、蚊帳が何だかわからなくて怖がっていましたが、下からくぐればすぐ出られることがわかり、あとはお兄ちゃんたちと大はしゃぎです。赤ちゃんも1歳半を過ぎるとカタコトの言葉でよくしゃべるし、動きもはやくなって、親はついて行くのがやっとです。

私も妻も男女差別につながるようなことは好きではないので、子どもたちに、「男らしくしなさい」とか「女らしくしなさい」とか、言ったこともないのですが、それでも男の子はやはり男っぽいし、女の子は女っぽいです。見ていると、遊び方も違います。お兄ちゃんたちは、小さいときから、ぬいぐるみを投げつけたり、ぬいぐるみ同士を戦わせたり、むしって中のワタを出したりして遊んでいたのが、娘はぬいぐるみを抱っこして遊んでいます。しかもそのしぐさが何ともかわいいのです。「人は女につくられる前に、女に生まれている」と思いました。ぬいぐるみの抱っこなんて、教えたことがないんですよ。ぜんぜん。

山里は子育てしやすい環境だと思います。緑豊かで広々しているし、車はほとんど通らないし、近所の人の目があるのも大きいです。
物騒な事件が相次ぐ世の中ですが、山里暮らしをしていると、不審者や交通事故や変なセールスなどの心配はまずないです。むしろ、スズメバチ、マムシ、ムカデ、ツツガムシ、ウルシなどに気をつけないといけないです。それと、季節によっては熊が出るときがあります。あとは、冬の豪雪ですね。注意すべき対象が、街と違います。
「不便で危険な山里になぜ住むのか」と言われることもありますが、「不便」についてはいつも言っているとおりで、便利さを追求しても人は幸せにならないと思っていますし、自然の危険は多くの場合、避けようがあります。中には不可抗力もあるかもしれませんが、たいていは、経験者から聞くなどして判断し、対策を立て、危険を避けることができます。得体の知れない不審者や不審な電話、見ず知らずの人に突然危害を加える強盗や暴漢、自分の側に落ち度のない交通事故などの危険と向かい合うのとは、やはり、違います。それに、特に都市部はものごとの変化がはやくなりました。変化がはやいというのは、それだけ経験が役に立たなくなる、経験が価値を失うのもはやい、ということです。自然も長期のうちには変化するのでしょうが、その変化はゆっくりなので、自然相手の経験というのはそう簡単には古びません。自然の中で暮してきた高齢者の知識は、いつまでも役に立つのです。

全面的に良いことばかりの住環境なんてどこにもないと思います。何かが良ければ何かは悪いのです。何を重視して住む場所や家のつくりを選ぶかだと思います。

それにしても、街はずいぶん住みにくくなったと思います。学校、職場、公共施設や家庭などが、管理や防犯対策を強化すればするほど、息苦しくなるでしょうし・・・・・、困ったことです。

先の見えない世の中になったのは山里も同じだし、しかも、この格差社会、地方の不景気は止まりません。
でも、不思議なくらい気持が落ち着いています。自然に囲まれ、自然から癒されていること、近隣との「相互扶助」の不文律に自分たちも守られていること、そうしたことが、実感としてわかるからなのでしょう。

山里は秋に向かっています。8月初めにジャガイモの収穫を終えた畑に、今度は大根や白菜の種を蒔く用意をしています。(伊藤)

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