人生の目的と修了
従姉妹の突然の死はショックですけれど、死の事実は事実ですから、受け入れるしかないんです。頭ではそれがわかっているのですが、人の感情というものは、なかなか理屈どおりにはいきません。
人生とは何かについて、エリザベス・キューブラー・ロスははっきり言いました。「人生はレッスンの場です」と。困難や苦しみや悲しみがあるのは、それを通して成長し、卒業しないといけないから、ということになります。
なんでわざわざ、試練のレッスンを受けるためにこの世に生まれるのかということになりますが、「地上における目的は、愛し、愛され、成長すること」なのだそうです。ということは、憎んだり、つぶしあったりするのは、人生の目的に反します。
エリザベス先生の考えだと、一般に「死」と呼ばれるものが「卒業」です。「修了」とも言えます(「終了」ではありません)。
「死とはこの世の人生から別な存在への移行」であり「無になるという意味での死は存在しない」そうです。
「じゃあなんで、幼いのに卒業する人と、高齢になるまで卒業しない人がいるの?」と妻は言うのですが、人はそれぞれに必要があって生まれてきて、人生をまっとうするまで地上にいるのでしょう。早いか遅いかは宇宙の時間では一瞬の違いに過ぎず、その人の優劣ではないと思います。人が生きる共通の目的は「愛し、愛され、成長すること」で、おそらく他に個別の使命もあるのだろうと思います。ただし、人生の目的のすべてを悟りつくすのは人智の及ぶところではありません。
耐え難い苦しみがなぜあるのか、これも私には答えられないのですが、理想は、みんなが幸せになる道を求めることだと思います。たぶん、それが自分の幸せにもつながってゆくのでしょう。
この世の人生を修了した人には、もう試練はありません。苦しみも悲しみもありません。昔の人は、極楽や天国をイメージしました。
そんなふうに思っても、身近な人を失うのは悲しいです。自分にできることがもっとあったのではないかという思いもあります。
それでも、死の事実は事実ですから、やはり受け入れるしかないんです。(伊藤)
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