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春、そこまで

この山里記を自分で読み返してみると、誤字脱字が多くてお恥かしいです。
「鍵」と「鈎」、「以外」と「意外」などは変換ミスです。文の終わりのマルが2つあるのは単なるタイプミスですし、脱字は、たぶん、推敲したときに必要な字まで消してしまったのでしょう。漢字や用語の不統一もありますが、意味は通じるのでそのままにしてあります。なにしろ、小さな子どものいる日常の中での公開雑記ですので、ご容赦ください。

まだわが家の1階は雪に埋まったままです。それでも、この山里も、少しずつ春めいているのを感じます。この冬は雪や寒波の到来が早く、しかも雪の量が記録的に多くて、ずいぶん被害も出ました。
県内外のあちこちで、車庫や農作業小屋が雪の重みでつぶれたとか、家の庇(ひさし)が壊れたとか、見聞きします。建物だけでなく、中の自動車や農機具等もつぶれ、相当の被害も出ているようです。凍った道路での交通事故や、雪おろし中の事故も多発しました。雪おろし中に屋根から転落し、命綱で宙吊りになり、首や胸をしめられて亡くなった人もいました。庄内町では、列車の脱線転覆という惨事もありました。
なんとも大変な冬でした。

そんな大変な雪国に、なんで暮すのか、と言われそうですが、冬も含めて、雪国は居心地がよいのです。自然が厳しいのは事実ですが、それ以上に居心地がよいのです。
特に、山里の自然に囲まれた中にいるすがすがしさは何とも言えません。たとえば、冬の晴れた朝、輝く一面の雪原を歩きながら感じる気分のよさなど、たとえようもありません。冬でさえそうなのですから、春、夏、秋の爽快さを知れば、再び街で暮らしたいとは思いません。
近所づきあいという点でも、山の集落には相互扶助的な伝統が残っており、万事「お互いさま」という感じですから、昔に戻ったみたいで暮らしやすいのです。いったん自分もそういう中に加わると、まわりの人たちがいろいろ手をさしのべてくれたり、知恵を出してくれたりするので、精神的にもうんと楽です。もちろん、場合によっては自分がまわりの人に手を貸すこともありますが、今のところ、助けてもらうことの方が多いです。
新興住宅地ならわずらわしい近所づきあいがなくて楽だろうと思っていたら、まったく逆でした。

幸福感というものは、金銭や物質の豊かさや、駅やスーパーに近くて便利といった条件に比例しない、と、私は自信を持って断言できます。何度も言うとおり、人は、自然や他者との関わりの中で癒されるのであって、お金を儲けたり、人工物を増やしたりしても、それで癒されるわけではありません。

長かった冬も、やっと終わりが来たようです。山里も、日に日に雪が少なくなっており、春がそこまで来ているようで、待ちどおしいです。(伊藤)

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