E・キューブラ・ロス
エリザベス・キューブラ・ロスの名は、今ではすっかり有名になりました。緩和ケア(ターミナルケア、終末期医療)の先駆者として高く評価されていますし、死後の世界について語った学者として、宗教者からも、一部のオカルト好きの人たちからも注目されています。
私は、医学的なことは素人ですし、まじめな宗教ならともかく、変な新興宗教やオカルトの「教え」には一切興味ありません。ただ、人がなぜカルト集団を作り出し、それを信じて維持してしまうのか、その精神状態には多少興味がありますが・・・・・。
ホスピスにおける緩和ケアについては、たとえば、山崎章郎医師の『病院で死ぬということ』[文春文庫]など、わかりやすいですし、死にゆく人たちにどう接するべきか考えさせられます。山崎医師自身、キューブラ・ロスの著書『死ぬ瞬間』[読売新聞社]に強い衝撃を受けたことが、ホスピスケアに向かっていくきっかけだったそうです。
『死ぬ瞬間』(DEATH AND DYING)は、社会福祉を少しかじっただけの私には難しい本で、学生の頃、キューブラ・ロスは偉大な人だが難解だという印象を受けました。
キューブラ・ロスの『死後の真実』[日本教文社]を読んだのは95年頃だと思いますが、びっくりしました。偉大な医学者のロス博士が、死後の世界を大まじめに論じているんですから。私は、これはぜひ彼女(今の妻)に読んでもらいたくて、同じ本をもう1冊買ってきて渡しました。
当時私は東京で働きながら建築の勉強をしており、彼女は清瀬市にある社会事業学校の研究科を修了し、都内の病院で医療ソーシャルワーカーとして働いていました。2人とも、まだバブル時代の熱気の残る東京で、「人の幸せとは何か」とか「どうすれば人は幸せになれるのか」、「人は何のために生まれてきて、何のために生きるのか」といったことを論じ合う、時代遅れの若者でした。
私も人の死について関心を持っていましたが、彼女は、医療福祉の分野にいて、人の死に接することも多く、担当した患者の死に落ち込んでいることもありましたから、キューブラ・ロスの著書が何か参考になればと思って渡しました。
その後、私もいろいろ読みましたが、今まで読んだキューブラ・ロスの著作の中で一番印象に残っていて、しかもわかりやすかったのは『「死ぬ瞬間」と臨死体験』[読売新聞社]です。講演集なので、キューブラ・ロス自身が語りかけてくる感じです。この本、『死後の真実』と重複もありますが、もっと詳しい箇所もあり、おすすめです。
なんで突然こんな話をするのかと言いますと、IT長者が出現したり、ネット株がはやったりするバクチ国家のような今の日本で、しかも、誰がどっちに転ぶかわからない、オセロゲームの展開のような中で、むしょうにキューブラ・ロスの本が読みたくなったのです。それで、久しぶりに『「死ぬ瞬間」と臨死体験』をめくってみたのです。
自分自身の声に耳をかたむけることよりも、人からどう評価されるかを価値基準にし、愛を買おうとするような考えに対し、キューブラ・ロスはこう言います。
「愛を買おうと思って、彼らは一生うろうろ探し回ります。でも、愛は見つからない。真の愛は買えないからです。そういう人たちは死の床で悲しそうに私に言います。「私はいい暮らしをしてきました。でも本当には生きてきませんでした」。私が「本当に生きるってどういうことですか」と聞くと、こう答えるのです。「私は弁護士として(あるいは医者として)成功しました。でもじつは大工になりたかったんです」。」(鈴木晶訳『「死ぬ瞬間」と臨死体験』94頁)
この人がどうすればよかったのか、答えは出ています。大工になればよかったのです。気の毒に、自分の希望より、いい暮らしや人の評価を優先させてしまったのです。
また、こんなことも言っています。
「人生は短いのですから、結局のところは、自分が本当にやりたいことをやったらいいのです。(中略)そんなことをしたら貧乏になるかもしれない、車を手放すことになるかもしれない、狭い家に引っ越さなくてはならないかもしれない。でもその代わり、全身全霊で生きることができるのです。世を去るときが近づいたとき、自分の人生を祝福することができるでしょう。」(同書84頁)
実は、キューブラ・ロスのこうした言葉も、私たちが山里暮らしに向かってゆく背中をおしてくれました。
『「死ぬ瞬間」と臨死体験』には、神秘的な体験も出てきます。私には、どう解釈していいのかわからない話もありますが、美しい体験のようですから、変な宗教カルトなどに結びつけてほしくないと思っています。私は、キューブラ・ロスの神秘的な話を、すべての存在に対して愛情を持って接していくことの大切さを語っていると受け取り、臨死体験なども、いろいろ言う人もおりますが、私自身にその日が来るまで変な解釈は加えないことにしようと思います。(伊藤)
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