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野の花をながめながら

自分で「ジネント山里記」を読み返してみると、なんだか伊藤は山里の民家でのんびり生きている世捨て人みたいな感じですが、実際は平日普通に働いていますし、けっこうめんどうな仕事もしています。それでも山里の家に帰るとほっとするのです。自然の中に身を置くと、わずらわしいことを忘れ、解き放たれた気分になるのです。

日に日に新緑が鮮やかになっていきます。ふもとの桜は散り始めましたが、今度は家の周りの桜が咲いてきました。やがて上のほうでも咲くでしょうから、何度も花見が出来そうです。
朝のさわやかな光と鳥の声に目覚める日々です。早起きして散歩するなんて、山里に来るまでなかったことです。朝の散歩中、よくキジのつがいを見かけます。うちの庭に遊びに来ていたり、裏のりんご園を歩いていたりします。集落の人は誰もいじめたりしないようで、わりと近くまで寄ってきます。キジの夫婦は仲良く歩いていて、かわいいです。
道端にはタンポポやいろいろな野草たちが花を咲かせています。
野の花をながめながら、「栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていなかった」という福音の言葉を思い出しました。高校生の頃、古典の時間に読ませられた『平家物語』の冒頭や『方丈記』の言葉も頭に浮かんでくるのですが、それは私が「無常」を思うような年齢になったからかも知れません。
この世の覇者が何をしようが、いずれは消えていきます。人間の驕りに関わりなく四季はめぐり、花は咲く、ということのようです。(伊藤)

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