信仰の根拠は聖書のみ? その歴史的考察(2) 新約聖書成立以前の信仰
(こちらを先に読んでもわかるように書いたので(1)と重複箇所があります。ご了承願います。)
宗教改革者ルターは現代の保守的福音派などが主張するような「聖書66巻すべてが一言一句誤りのない神の御言葉である」という立場ではなかった。ルターも、聖書は神の御言葉と考えていたようだが、聖書のすべての文書が同じ重みを持つと見なしてはいなかった。
彼は、キリストをどれだけ明確に証言するかを評価の基準とし、新約聖書のヨハネ福音書、ローマ書、ガラテヤ書、1ペトロ書を最高のものとした。他の文書も役立つが、キリストを証しする度合いがこれらよりは低いとみて、重要度に差をつけた。そして、ヤコブ書、ユダ書、ヘブル書、黙示録は、キリストを十分に証ししていないとして、削除まではしなかったものの、低く評価し、正典性を疑問視さえした。初期のルター訳聖書ではこれら4書は付録の扱いだったという。
ルターにとって聖書の重要性は文字の一貫した無誤無謬性にあるのではなく、キリストを示す証言性にあった。彼は「聖書はキリストのゆりかごである」と言ったと伝えられる。聖書は、中にキリストが入っているかいばおけ(まぶね)なのだ。かいばおけは器に過ぎないのに、この器ばかりを重視して、中のキリストをよく見ようとしない人たちが現代でもいる。正統的プロテスタント教会を称しながら、ルターの考え方に学んでいない人たちである。
ではルターは、新約聖書27巻がそろう以前の信仰の根拠をどう考えていたのだろう。
歴史を考えれば、何もないところに聖書が与えられて信仰が成立したのではない。信仰が先である。キリスト教の信仰は新約聖書の成立以前からあった。
ルターは「聖書のみ(sola scriptura)」を唱えたが、それは「神の啓示の唯一の形は聖書だけ」という意味ではなく、「信仰の基準は人間の教えや教皇の権威ではなく、聖書が証しするキリストであり、キリストの福音による神の御言葉である」という意味に解すべきだろう。彼は、新約正典が確立する以前も、キリストの福音による神の御言葉は伝えられていたと考えていた。
権威ある文書として、旧約聖書があった。
初期には使徒たちの口頭による宣教があった。
使徒たちの没後も教会は教えを受け継いでいた。
教会が神の御言葉を生み出したのではなく、神の御言葉を見分けて新約聖書を確立した、ということになる。
ルターにとって重要なのは27巻の文書がいつ出そろったのかではなく、キリストの福音による神の御言葉は、27巻の文書がそろう以前から人々に告げ知らされていたという事実であった。
だが、ここで疑問が生じる。初期には使徒たちの口頭による宣教があり、使徒たちの没後は教会が教えを受け継いできたのなら、受け継がれた教えは聖伝(Tradition)ではないのか。「信仰の根拠は聖書のみ」なら、カルタゴ会議(397年)以前をどう考えればいいのか。新約聖書27巻の文書がカルタゴ会議で正典と認められる以前は、聖伝も信仰の根拠だったのか。「信仰の根拠は聖書のみ」となったのは397年からで、それ以前は「聖書と聖伝」が信仰の根拠だったのか。
このあたりに、プロテスタントの理論の限界があるのではないかと思う。この疑問に対し、私は今まで納得のいく説明を聞いたことがない。
「後に新約に収められる文書は、かなり早い段階から存在していました」と言って、「信仰の根拠は聖書のみ」と説明しようとした人もいたが、初期にはそれらの文書は新約聖書と認められていなかった。つまり、受け継がれて朗読されていたとしても、正典文書と認められる以前は紙に記された一種の聖伝だった。
それに、初期の教会には信仰上の文書が多数存在していた。その中のどれを正典とし、どれを外典とするのか、誰が何の権限でそれを決めるのか、何も決まっていなかったのだ。
やはり私は、「信仰の根拠は聖書のみ」という主張では、新約聖書成立以前の信仰の根拠について説明がつかなくなると思うのである。
それに、そもそも「信仰の根拠は聖書のみ」という言葉はイエスの教えにない。これは、宗教改革の時代に掲げられた時代的な主張である。この言葉をイエスの言葉と同列に置くわけにはいかない。
どこまでも「信仰の根拠は聖書のみ」として聖書信仰を主張するなら、新約聖書が確立する以前には、世の中に正しい信仰はなかったということになってしまう。
私は、今日において、「信仰の根拠は聖書のみ」という主張を見直す勇気が必要なのではないかと考えている。
(伊藤一滴)
付記:初期の教会には信仰上の文書が多数存在していた。ご参考までウィキペデアの「外典」の項に載っていた文書名を挙げておく。
これら以外にも初期の教会で用いられていた信仰上の文書には、歴史の中で忘れられ失われたものや、未発見のものもかなりあるだろう。
パウロ行伝
ペトロ行伝
パウロ・テクラ行伝
ペトロの黙示録
パウロの黙示録
ディダケー(十二使徒の教え)
バルナバの手紙(バルナバ書)
クレメントのコリントの信徒への手紙
イエス・キリストとエデッサ王アブガルスの手紙
使徒パウロのラオディキアの信徒とセネカへの手紙
イグナティオスとポリカルポスの手紙
エジプト人による福音
ユダヤ人による福音
ユダによる福音書
ニコデモによる福音書 (ピラト行伝)
ペトロによる福音書(ペテロ福音書)
救い主による福音
ヤコブによる原福音 (ヤコブ原福音)
トマスによるイエスの幼時物語
トマスによる福音書
マタイによるイエスの幼時福音
マルコによるイエスの幼時福音
アラビア語によるイエスの幼時福音
マリアによる福音書(マグダラのマリア福音書)
フィリポによる福音書
ヘルマスの牧者
イエス・キリストの叡智
シビュラの託宣
後に新約聖書となる27巻の文書も一冊本になっておらず(技術的にも不可能だった)、各巻分冊で、これらと混じっていた。3世紀までの写本はコデックス(パピルスを重ねて2つ折りにして真ん中を綴じた冊子)が普通だったから、厚い本は作れなかった。また、どの教会にもこうした文書がそろっていたわけではなく、地域により、指導者により、用いる文書が違っていた。後に正典となる27巻の文書にしても、どの教会にもあったというわけではなく、正典か外典かの区別がないまま混在し、教会によって用いる文書が違っていた。
特に「ヘルマスの牧者」などは各地の教会で広く用いられており、有力な文書であった。一方、ヤコブ書、ユダ書、ヘブル書、黙示録は、ルターが気づいていた通り、使徒性(正典性)を認めない意見も多かった。他にも、2ペトロ書、2ヨハネ書、3ヨハネ書の正典性を疑問視する声もあった。
新約聖書27巻が確立する以前の一般のキリスト信者はもちろん、教会の指導者たちだって、多数の信仰上の文書のうちのどれを正典とすべきか見分けがついていたとは思えない。そもそも新約正典が存在するという認識、新約正典という概念さえ、どの程度あったのかもわからない。
今日、ほとんどの人は、「キリスト教は聖書というゆるぎない正典を持つ宗教である」と思っている。しかし、キリスト教の初期においては、明確な正典の範囲が定まっていなかったのだ。
カルタゴ会議で27巻の文書が認められてから千年以上経った宗教改革の時代でさえ、ルターはヤコブ書、ユダ書、ヘブル書、黙示録の使徒性を疑問視していた。
それでも「信仰の根拠は聖書のみ」と言えるのだろうか。
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