« キリスト教史の諸問題 「教会はいらない、信仰もいらない」 | メイン | 聖母マリアを崇敬する「聖書的根拠」(再掲) »

そして二人は一つの肉となる

マタイ福音書にこう書いてあります。

19:3さてパリサイ人たちが近づいてきて、イエスを試みようとして言った、「何かの理由で、夫がその妻を出すのは、さしつかえないでしょうか」。 19:4イエスは答えて言われた、「あなたがたはまだ読んだことがないのか。『創造者は初めから人を男と女とに造られ、19:5そして言われた、それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである』。 19:6彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」。(口語訳)

「一体」と訳されていますが、原文は σάρκα μίανですので、直訳すれば「一つの肉」です。

イエスは、旧約を引用し、καὶ ἔσονται οἱ δύο εἰς σάρκα μίαν (そして二人は一つの肉となる 5節)と言っています。

また、ὥστε οὐκέτι εἰσὶν δύο ἀλλὰ σὰρξ μία (それゆえ、もはや彼らは二つではなく一つの肉です 6節)とも言っています。

欽定訳をはじめ多くの英訳も one flesh (一つの肉)と訳しています。

 新約聖書に記されたイエスの発言は、伝承された言葉が後に編集されたものですから、どこまでがイエスの口から出た言葉なのか、厳密にはわかりません。ただ、こうした発言がイエスの言葉として記されている以上、イエスには、性をタブー視する発想はなかったのではないかと察せられます。

おそらく、イエスは、「結婚した二人は合体して一つの肉になるんだよ」といった発言を、人前でしていたのではないでしょうか。だとすれば実におおらかであり、性を罪悪視するような感覚は感じられません。

 今も、教会の中やクリスチャンの間では、性をタブー視する雰囲気があると聞いています。「教会の人には恋愛の相談もできない」といった声も聞こえてきます。そうした雰囲気はイエスの姿勢と違うと思います。

(伊藤一滴)

今日は、イエス・キリストが十字架につけられたという受難の日です。
キリストの十字架を思い、キリスト教の負の歴史を思い、また、今もこの世界には苦しんでいる人たちが多くいることを思いながら、讃美歌136番「血しおしたたる」を聞いています。

「血しおしたたる 主のみかしら、 とげにさされし 主のみかしら、 なやみとはじに やつれし主を、 われはかしこみ きみとあおぐ。」

コメント

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。