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すべての食物は潔い

ネストレ・アーラント校訂『ギリシャ語新約聖書28版』で、ちょっと気になるマルコ7:19を見てみます(福音書本文は28版も27版も同じです)。

 引用開始

19ὅτι οὐκ εἰσπορεύεται αὐτοῦ εἰς τὴν καρδίαν ἀλλ’ εἰς τὴν κοιλίαν, καὶ εἰς τὸν ἀφεδρῶνα ἐκπορεύεται, καθαρίζων πάντα τὰ βρώματα

引用終了

私なりに、忠実に直訳してみます。カッコ内は補足です。

「19 なぜなら(それは)その人の心の中に入るのではなく、その腹の中に入り、そして便槽の中に出て行くのですから、すべての食物は潔いのです。」

途中まで疑問形に訳すのも可能です。

「19 なぜなら(それは)その人の心の中に入るのではなく、その腹の中に入り、そして便槽の中に出て行くのではありませんか? すべての食物は潔いのです。」

注目すべきは ἀφεδρῶνα という単語です。コンコルダンスを見ると、この語はマルコ7:19とマタイ15:17にしか出てこないようです。(私の見落としがあったらごめんなさい。)

明治元訳、大正改訳、永井直治訳などの戦前の訳は、この語を「厠(かわや)」と訳していました。戦後の訳でも、フランシスコ会聖書研究所訳、前田護郎訳は「厠」と訳しています。

塚本虎二訳では「便所」です。田川建三訳も「便所」。何かと田川さんが非難する岩波訳も「便所」と訳してます。

新改訳(初版)は、平仮名で「かわや」。

口語訳や新共同訳はこの語を無視しています。礼拝中に「便所」といった語を口にするのはふさわしくないとでも思ったのでしょうか。

聖書協会共同訳はまだ買ってないんで紙の本では未確認ですが、たまたまネットで見たら、口語訳や新共同訳同様に無視でした。聖書にはっきり書いてある単語でも、一部の単語はこれまで通り無視するという翻訳の踏襲でしょうか。この訳、お金を出して買う価値あるの?って言いたくなります。

新約聖書のイエスの言葉に出てくる「肥料」という言葉は糞という意味ですから、排泄物は肥料に使われていたと考えられます。

便所もいろいろあるのでしょうが、イエスがイメージしていたのは当時の汲み取り便所でしょうから、アフェドローナという名詞を「便槽」とし、「便槽の中に出て行く」と訳してみました。

「心の中に」、「腹の中に」、「便槽の中に」という3つとも、「~の中に」という同じ前置詞が使われているので、これらを同じようにそろえてみました。心も、腹も、便槽も、その中に何かが入っていくイメージがあります。心の中に入るのは、いろいろな思いでしょうか。腹の中に入るのは食物で、便槽の中に入るのは大便や小便です。

イエスは庶民の一人だったんです。

食べて、便所に行って、便槽の中へと排泄する、そういう庶民。排泄物を溜めて肥料にするのは当然という、そういう普通の暮らしの中で生きていたのです。イエスの話を聞いた人の多くも、また、それを語り継いだのも、同じような暮らしの中にいた庶民だったのでしょう。

上に引用した箇所もそうですが、イエスは、律法主義の支配が一般庶民を束縛するのを激しく嫌悪していたようです。

「便槽の中に出て行く」といった言葉は下品だから口にしないといったタブーも、イエスにはなかったのでしょう。

私には、能力的、時間的に厳しいのですが、できるなら、聖書が記すイエスの言葉を忠実に訳してみたいです。

 (伊藤一滴)

付記
原始教会が異邦人(非ユダヤ人)への伝道を進める中で、異邦人がキリスト教に入信すればその人もユダヤ教の食物規定を守らなければならないのか、という問題が生じ、上記のイエスの発言が創作されたのかもしれません。
たとえそうであっても、イエス様ならこうおっしゃったに違いないという思いで創作された発言でしょうから、そこに、イエスのメッセージの反映を感じます。
イエスは、便槽(一般に厠とか便所とか訳される語)といった言葉を普段から口にしていたのでしょう。

 

 

 

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