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思案中 なぜ神様は、ある人たちには豊かな恵みをお与えになり、別の人たちには与えてくださらないのか

もし私たちが、毎日の食べ物や安全な暮らしを神様からのお恵みと考えて感謝の祈りを捧げるなら、今、飢えている人たちはどうなるのか、危険な目にあっている人たちはどうなるかと、ずっと考えていました。

なぜ神様は、ある人たちには豊かな恵みをお与えになり、別の人たちには与えてくださらないのでしょうか。

何の落ち度もない人が、たまたま生まれた国や地域や民族などによって、学校に行けなかったり、飢えたり、紛争に巻き込まれたり、迫害されたり、殺されたりしています。

たまたまそのように生まれただけで、自分で選んだのではありません。
まったく、当人の落ち度ではなく、避けようもありません。


私たちが、「神様、日々のお恵みをありがとうございます」と祈るとき、「お恵みを受けていない人たち」のことをどう考えればいいのでしょう。


私たちが豊かに暮らしているとき、ある人たちが苦しんでいるのは、苦しむ人たちの罪の結果ですか?

違います。

私たちが豊かなのは、「正しい信仰」の結果ですか?

違います。

クリスチャン多数の中南米やフィリピンやアフリカ諸国には、真剣にキリスト教を信じて祈っている人も多いでしょうに、その貧困をどう説明すればいいのでしょう。
また、クリスチャン少数の日本の経済的な豊かさを、どう説明すればいいのでしょう。

「苦しみは、その人を向上させる」と言う人もいますが、それは、ある程度までの話です。
たとえば、ルワンダというクリスチャン多数の国で起きた大規模な殺害をどう説明するのですか?


そもそも人は何のためにキリスト教を信じるのでしょう?

神の審きが怖いからですか?
地獄に行きたくないからですか?
救われて天国に行きたいからですか?
永遠の命がほしいからですか?

それって、結局、自分のためですね。

自分が救われたいからキリスト教を信じるという、御利益(ごりやく)信仰のようなクリスチャンがけっこういると思います。
それを言うと、
「それで何が悪いのですか?」
と言われそうです。

そういう人たちに、どう語ればいいのでしょう。

私は、今、思案中です。

(伊藤一滴)

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