野原花子著『聖書はもういらない』に答えないクリスチャンたち
野原花子著『聖書はもういらない』に対するキリスト教の側からの答えを探しているのですが、インターネット上ではほとんど見つかりません。
牧師の富田正樹氏が、「気の毒としか言いようがないが、キリスト教会は警告の書として厳粛に受け止めなくてはいけない。」として、真剣に答えておられます。その全文は以下のとおりです(ぜひ、お読みください)。
https://ichurch.me/2021/2021/03/13/no-need-bible/
富田牧師のように見解を表明された方は例外的で、クリスチャンの側からはほぼ無反応というか、無視を決め込んでいるようです。
まさか、「当教会では誰一人この本の出版を知りませんでした。読んだ人は誰もいません」なんてことはないでしょうに。
朝日新聞の第一面に広告が掲載され、その後しばらく入手が困難になるくらい売れたのに。
キリスト教系メディアも完全にこの本を無視しているようです。
クリスチャンたちは、この本のことを話題にしたくないのか、ネットに見解を載せたりもしません(富田正樹牧師は例外)。
著者の、血を吐くような言葉に、まったく答えないというのは、つまり、答えられないということなのでしょう。野原氏の主張に反論できず、答えようがない、ということではないのですか。つまりそれは、自分たちの敗北を認めたということではないのですか。
そうでないと言うなら、世のクリスチャンたち、ぜひ答えてください。ネット上の書評でもツイッターでもいいんで。
私の意見、ですか?
以前から書いていることと、最近何度か書いている「創作」が、私の答えです。
さらに言えば、私は福音派を嫌っているのではありません。
福音派の牧師先生や信者さん方は私の恩人でもあります。
福音派の信仰は、たとえて言えば高性能スポーツカーのようなものです。並の人がついていけないくらい能力を発揮することもありますが、操作を誤れば大きく暴走し、その被害も大きいのです。暴走の危険はどの教派にもあるのでしょうが、聖書を文字通り信じようとする福音派は、特にその性質が顕著です。キリスト教における一部の原理主義化、カルト化は、福音派特有の現象であり、プロテスタント主流派(リベラル)やカトリックの教会では、まず見られません。
(伊藤一滴)
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