中村哲先生らが召されて1年
アフガニスタンの復興支援に取り組んでおられた中村哲先生が車で移動中に襲撃され、同乗者らと共に殺害されて1年。
月日の流れは早いものだと思います。
私はこう書きました。
中村先生と同乗者らは、なぜ銃撃されて、殺されてしまったのでしょう。
なぜ全能の神がそんなことをお許しになるのでしょうか。
全能の神の全能とは、政治的、軍事的、あるいは超自然的な全能ではないのでしょう。神は、政治、軍事、病気や事故や自然災害その他ひとつひとつ全部に直接介入したりなさらない。だから、現世の御利益を求めても、御利益はありません。神は、そのいつくしみにおいて全能であり、完全ないつくしみで人に関わり、人の心に働きかけ、人を動かしてくださる、そういう意味で全能なのでしょう。
私たちは、その働きかけに応えるのかどうか、応えるならば、どのように応えるのか、それが問われているのだと思います。
思いは変わりません。
神の全能とは、そのいつくしみにおける全能です。
中村先生は全能の神に応えました。一生かけて、応えました。そして召されてゆきました。
キリスト教の場合、これを信じれば幸運になるとか、金運がつくとか、良縁に恵まれるとか、災難に遭わないとか、そういった御利益(ごりやく)とは無縁です。
また、「死んだら救われて天国に行く」ための免罪符でもありません。
キリスト教は、神の働きかけにどう応えるのかという問いです。
問われています。
私たちは、私たちが生きる地上の現実を前に、どう行動すべきなのか。
「これらいと小さき者の一人にしたのは、すなわち私にしたのです」と言われるキリストにどう応えるのか。
待降節になりました。もうすぐクリスマスが来ます。
神に栄光が、地に平和がありますように。
(伊藤一滴)
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