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「信仰の論拠は聖書のみ」というのは、一種の聖伝

学生の頃、福音派と称する人たちの中に、
「『信仰の論拠は聖書のみ』ですから、リベラル派やカトリックの主張は間違っています」
と、やたら絡んでくる人たちがいました。

プロテスタントのリベラル派(※注)は、知性、理性、科学といったものを聖書よりも上に置いている、だから間違っている、カトリックは聖書と聖伝の両方を論拠にしている、だから間違っている、という主張なのです。

(※注:プロテスタントの主流派。主流派の中の特にリベラルな人たちを指すこともある。)

それで、私は、
「では、『信仰の論拠は聖書のみ』という根拠は何ですか」と聞いたのですが、納得できる説明をした人は一人もいませんでした。
「ルターは正しい主張をし、その正しい主張を私たちは受け継いでいるのです」といった答えになっていないことを言う人もいました。

「信仰の論拠は聖書のみ」というのは、一種の聖伝です。
「信仰の論拠は聖書のみ」とは、聖書のどこにも書かれていません。「聖書は66巻である」とも書かれていません。
プロテスタントはプロテスタントなりの聖伝を作り、受け継いでいるのです。
ルターはこう言ったから、カルヴァンはこう言ったからと、過去の人の言葉を伝え、一種の聖伝にして受け継いでいるのです。

「『信仰の論拠は聖書のみ』なのも『聖書は66巻』なのも自明です」と言う人もいましたが、聖書に書かれていない見解がどうして自明になるのでしょう。
書かれていないことを受け継いで、代々主張するのは、やはり、一種の聖伝でしょう。

さらに私は、
「ルターは正しい主張をしたという、聖書的根拠は何ですか。聖書のどこかに「ルターという者が正しい主張をする」とでも書いてあるんですか」
と聞きました。以前から何度も絡まれて、かなり腹が立っていたのです。
聞かれた人は答えに詰まり、
「ルターは間違っていると言うんですか! あなたには信仰がないからそんなことが言えるんです! あなたは救いの中にいないからそんなことが言えるんです!」と、真っ赤になって怒るだけでした。

私は、「ルターは間違っている」なんて一言も言っていないのに。

今も、「信仰の論拠は聖書のみです」「聖書的根拠はありますか? 聖書的根拠は?」って、やたら人に絡んでおきながら、自分たちは聖書に根拠を見いだせない伝統を信じている人たちがいます。その二重基準に気づいてほしいと思います。

プロテスタントにはプロテスタントの伝統があり、その伝統の中には、はっきり聖書に書かれていないものもあるのです。
その事実は、事実として認めないと。

今思えば彼らは「福音派」と自称する原理主義者・カルトだったのでしょう。
彼らには、どんなに筋を通して説明しても、理屈が通じませんでした。
どこかで気づいて目を覚ましていればいいのですが・・・。

(伊藤一滴)

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