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「信仰の論拠は聖書のみ」の限界

「信仰の論拠は聖書のみ」というプロテスタント信仰(聖書中心主義、本来の意味での福音主義の信仰)の限界の一つは、新約聖書の成立より先にキリスト教信仰があったという事実です。
何もないところにいきなり聖書が与えられ、それを読んだ人たちに信仰が生じたのではありません。信仰が先です。イエスの教えやわざがあり、イエスは復活した、彼はキリストだと信じられ、信仰が受け継がれて、信じる人たちの共同体の中で新約聖書が成立したのです。

キリスト教信仰の成立は、新約聖書の成立より先です。

新約聖書があってのキリスト教の成立ではなく、キリスト教が信じられる中で新約聖書が成立したのです。

「信仰の論拠は聖書のみなら、新約聖書が成立する前のキリスト教信仰の論拠は一体何だったのですか?」という私の問いに、納得のいく答えをした人は誰もいませんでした。
まあ、たいてい返ってくるのは、
「イエス様に会って直接話を聞いた人たちがいたのです。そうした人たちの証言が信仰の論拠となったのです」
みたいな答えです。

しかし、パウロは生前のイエスに直接会ってはいません。
ペトロをはじめ、生前のイエスをよく知っていた人たちは、「イエスは~をなさった、~とおっしゃった」といった話をしたのでしょうが、彼らが新約聖書を執筆したわけではありません。(注1)
イエスに会った人たちの証言は伝承され、後に新約聖書に取り入れられたと考えた方が自然です。当然、逐語霊感説やこれに類する考えは否定されます。

今日のような形での新約聖書が公認されたのは4世紀の末ですから、この時点では生前のイエスに会った人は誰もいませんでした。ということは、イエスに会った人たちがみな没してから新約聖書が成立するまで、信仰の論拠はイエスに会ったことのない人たちが受け継いだ伝承だった、ということになります。その時代、信仰上の文書はさまざまあって、新約正典の文書は決定されていなかったのですから、受けつがれた文書も一種の伝承と言えます。
カトリックの伝承(聖伝)を否定しながら、自分たちは新約聖書成立までは伝承を論拠にするというのは、理屈として成り立つのでしょうか。しかも、4世紀の末には、新約聖書に収められる各文書の原本は失われており、写本だけが伝えられていました。新約聖書公認の時点で既に写本間に食い違いがあって、「無誤」ではなかったのです。聖書は原典において無誤というシカゴ声明の見解も否定されます。

「新約聖書の各文書は早い時期からありました。イエス様の十字架の死から各文書の成立まで、それほど長くかかっていません」
と言う人もいます。確かに、後に新約聖書に収められる文書の多くはイエスの死後数十年の内に書かれていたようです。その頃はまだ生前のイエスに会った人たちもいたのでしょう。しかし、初期のキリスト教徒は多くの信仰上の文章を記しており、新約聖書が成立する前の信者たちが、多くの文書を前に、これは正典だ、これは違うと、正確に判別して使い分けていたとは思えません。
「後に新約聖書に収められることになる文書の成立」と「新約聖書の成立」を混同してはいけません。

エイレナイオスの証言も、ムラトリ断片(ムラトリ正典目録)も、今日の新約聖書とは食い違っています。3世紀になっても、4世紀になってさえ、どの文書を新約の正典とするのか確定していませんでした。新約の正典は、時間をかけて議論され、最終的に4世紀の末に公認されて新約聖書が成立したのです。

「聖書はなんとか会議で公認されたから聖書になったのではない。最初から聖書だったのだ」といった主張は否定されます。
信仰が先にあり、信仰的な文書のうちのどれを正典とするのか、信仰者たちが時間をかけて議論し、最終的に正典が決定されたのです。そこに神の働きがあった、と主張するのは自由ですが、それは歴史的な正典成立史ではなく宗教的な主張です。

「新約聖書が成立した後、神の啓示はストップしたのでしょうか?」
「聖書に収録されなかった信仰者の証言や新約聖書成立以降の信仰者の証言は信仰の論拠にはならないのでしょうか?」
こうした問いにも、きちんと答えられる人はいませんでした。

「イエス様の時代と重なる時期を含む時代に書かれた死海文書の発見もあります。もし、イエス様の直筆の文書や、弟子がその場でイエス様の発言を書き留めた文書が見つかった場合でも、それらは信仰の論拠にならないのでしょうか?」
これにもきちんと答えられる人がいませんでした。そうしたものが見つかったらどうするのかという教会の方針がないのです。

「信仰の論拠は聖書のみ」というのは、宗教改革者ルターが16世紀初頭の時代の状況の中で述べた言葉です。ローマ教皇の権威に対抗して改革を進めるためには、聖書のみを論拠にするしかなく、彼はそう言わざるを得ない状況の中で言ったのですが・・・・、宗教改革の時代、どこまでを聖書と認めるのかも揺れていました。
ルターが、ヘブル書、ヤコブ書、ユダ書、黙示録の正典性を疑問視したのは有名です。疑問視しつつもルターはこれらを残したので、プロテスタントの聖書に新約の27巻が残りました。そこに神の働きがあった、と主張するのは自由ですが・・・・。
旧約聖書の範囲にも議論がありました。ルターは続編を除いた旧約聖書39巻を正典としました。「カトリックは旧約聖書に外典を付け加えて使っている」と非難する人たちがいますが、カトリックが付け加えたのではなくルターが除外したのです。(注2)

続編付きの旧約聖書は、カトリックだけでなく、聖公会や一部の無教会の人たちも使っています。

歴史上、万人が一致して認める一貫した「聖書66巻」などありません。

それに、イエス自身が「信仰の論拠は聖書66巻のみ」と教えたわけでもありません。

ルターの言葉は時代の状況の中での歴史的な言葉と解すべきです。

プロテスタントは「信仰の論拠は聖書のみ」と言いながら、宗教改革以前からの教義を受け継いでいます。たとえば、三位一体論は、アリウス派に勝利したアタナシウス派の見解であり、当時のカトリック教会の中で成立した神学ですが、こうした考えを「聖書のみ」から導けるのでしょうか。「信仰の論拠は聖書のみ」として聖書だけを読めば、父と子と聖霊は三位一体であるという神学に到達するのでしょうか。

「信仰の論拠は聖書のみ」という人たちは、そう言いながら、実は、聖書のみから導くことが困難な、過去のカトリックの神学を受け継いでいます。

福音派と称する人たちの一部はカトリック教会を激しく非難し、カトリックを非難することが信仰の中心のようになっている人までいますが、彼らがカトリックを非難すればするほど、自分たちの神学の足元を非難することになってしまうのです。

(伊藤一滴)


注1:「マタイ福音書」は使徒マタイが書いたとか、「ヨハネ福音書」は使徒ヨハネが書いたといった説は、ほぼ完全に否定されています。今日、そんな説を支持しているのは、異端派、カルト、原理主義者、福音派の中の特に保守的な人たちくらいです。

注2:死者のための祈りを否定したいルターにとって、死者のための祈りの論拠となる「第二マカバイ記」は都合が悪かったのでしょう。「第二マカバイ記」だけを削除する適当な理由がないので、へブル語原典がないことを理由に旧約続編を全部削除したのだろうと思います。ルターの時代、カトリック教会は、「あなたが死んだらあなたのために祈るから、生きているうちにお金を払いなさい」とお金を徴収していたのです。死者のための祈りはカトリック教会の金もうけの手段に使われていました。人々は、死後に苦しみたくないので、生きているうちに教会にお金を払ったのです。免罪符の販売につながる教会の堕落であり、こうした金もうけを非難するルターは、煉獄を否定し、死者のための祈りも否定した、ということなのでしょう。

補足
私が若かった頃、原理主義者(あるいはカルト)たちが言ってました。
「聖書66巻は天地創造の前からあり、時が来れば、神様は人類にお与えになるおつもりだったのです。そして、時が来て、まず旧約聖書が、次に新約聖書が与えられたのです」
それを聞いて私はぶっ飛びそうになりました。
自分たちは人に「そんなことが聖書のどこに書いてあるんですか」ってやたら詰め寄ったり、「カトリックは聖書に書かれていない主張をしているから間違っています」なんて言ってるのに。
それこそ、「聖書66巻は天地創造の前からあった」なんて、聖書のどこに書いてあるんですか? 「聖書は66巻である」とも書いてないですよ。勝手に話を作らないでください。「信仰の論拠は聖書のみ」と言いながら、どうして聖書に書かれていない「真実」が解るのでしょう。霊感ですかね。

補足2(2021.10.20追記)
「ルターはヤコブ書などを価値のないものとみて正典から除こうとした」という俗説を書いてしまっていました。不正確な記述なので削除します。正しくは、「ルターは、ヘブル書、ヤコブ書、ユダ書、黙示録の4書の正典性を疑い、特にヤコブ書を「わらの書簡」と呼び、使徒性のない文書と考えましたが、自分が訳したドイツ語聖書から外しませんでした」というのが事実です。 

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