« 「巣立つ日まで」 | メイン | 「なぜ若者は、それでも「安倍晋三」を支持するのか」 »

ドラマ「巣立つ日まで」のあらすじなど

ドラマ「巣立つ日まで」の映像はほとんどが失われているのに、詳しい方がいて、ネットで検索したら場所や年代、登場人物の名前まで出てきました。

放送は、NHK総合で、1976年(昭和51年)9月6日から10月1日までの月曜~木曜日、夕方6時5分から6時25分だったそうです。そうそう、6時から子どもニュースがあって、私も、6時5分から見ていたと記憶しています。
すっかり忘れていたのですが、1回の放送がたった20分で、放送期間が1カ月もなかったとは・・・・。

小学校6年生のときの1カ月弱の放送が、こんなにも、私の心に焼き付いているなんて・・・・。


NHK公式ホームページを含むいくつかのネットの記事を見ながら、私の記憶も加えてドラマ「巣立つ日まで」のあらすじを書くとこうなります。

舞台は昭和34年、福島県郡山市の中学校。
登場人物は、中学3年男子の靖、正彦、吉夫の通称三バカトリオと、女子生徒の妙子、京子、幸子。京子は東京から来た転校生です。
やがて、靖と妙子、正彦と京子、吉夫と幸子は、それぞれに淡い恋心をいだくようになるのですが・・・・。
幸子は病気が悪化し、手術のかいもなく死んでゆきます。吉夫(だったと思う)の前で、幸子が上半身裸になって自分の手術の痕を見せる場面があって、その場面が妙に記憶に焼き付いています。(私は心臓病だと思っていましたが、NHKのホームページには癌と書いてありました。)
妙子の父は外国出身で、妙子は家族と共に父の故郷の国に引っ越していきます。番組では国の名前は出なかったと思いますが、どうも朝鮮半島のようです。(北朝鮮なのか韓国なのか不明。当時の帰還事業を思えば、北朝鮮かも。)
京子も、両親のいるアメリカに行くことになって、それぞれが、それぞれに、別れです。
見ていて切なくて、すっぱいような、ほろ苦いような思いでした。

映像は昭和34年(1959年)には見えませんでした。昭和34年には、私はまだ生まれていませんでしたが、昭和40年代半ば以降の記憶ならあります。昭和40年代半ば(1970年頃)から昭和50年(1975年)頃にかけて、学校の机や椅子も、生徒の自転車も、走っている車も道路も大きく変わりました。経済が急成長する時代で、5年、10年で、風景がどんどん変わっていったんです。予算の関係でしょうが、ドラマに出てくる風景は、撮影された頃のものでしたね。
でも、そんなことが気にならないくらい感動して見てました。


現在のNHKの公式ホームページの「探しています!」がこれ。
https://www.nhk.or.jp/archives/hakkutsu/news/detail129.html

京子役の田中由美子さんの写真とコメントが載ってます。
当時の田中さんが歌った主題歌も聞けます。
幸子のお墓の前に集まった場面や、三馬鹿トリオ、祖国に帰ろうとする父にすがりつく妙子、病床の幸子を見舞う場面など、写真も掲載されています。(昭和30年代のものとは思えない学校机で学ぶ京子も写ってます。)

視聴者の録画が見つかって、公開されてくれるといいですね。画像や音声に乱れがあっても、今の技術なら修正できるでしょうし。

(伊藤一滴)

コメント

靖の「だって行っちまうんだろ」って言葉が忘れられません。写真のセリフだと思います。女の子の行き先は、韓国か北朝鮮です。
私も音をカセットにとって、何度も聞きました。確か、私の家族の声も入っちゃっています。古い家にまだ有るかな?
何枚か写真を載せて頂きましたが、イマイチ覚えていません。
歌は鮮明に覚えています。

一滴です。

私は当時小学6年生でしたが、甘酸っぱいような、ほろ苦いような記憶が胸に焼き付いています。
どこかで録画が見つかって、また見れたらいいと思います。

このドラマで中原中也の「山羊の歌」を知りました。楽しくて、切なくて、というドラマでした。

素敵なドラマでしたね。
できればまた見たいのですが、もう録画の原板も失われているようで、残念です。
私は当時小学生でしたが、わくわくと、甘酸っぱさと、切なさが混じったような感覚でした。

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。