キリスト教原理主義・聖書カルトの思考 まとめ
学生だった1980年代、学内で彼らに取り囲まれ、「あなたの聖書理解は間違っています!」と責められたとき、20代初めの私の頭の中は、
「???」
でした。
聖書について思うことを人前で言うときがありました。それで私は、彼らから目をつけられていたのでしょう。
「福音派」(または「私たちは教派ではない」)と自称する彼らの思考と行動を、こうしてまとめられるようになるまで、だいぶ時間がかかりました。
当時、彼らが何者か、どういう考えで人を責めるのか、全然わかりませんでした。
今だから、説明できます。
これまで書いたこととの重複もありますが、彼らの頭の中はこうなっていると考えると、その言葉と行動の説明がつくのです。
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聖書66巻は一字一句に至るまで神の霊感によって書かれた誤りのない神の言葉である。聖書はすべて正しい。聖書は真理である。
聖書66巻だけの絶対的な権威を認め、これを受け入れ、ただ信じることが正しい聖書信仰であり、正しい福音主義である。
私たちは真理である聖書66巻だけを正しく信じているのだから、正しい側にいて、救いの内にある。
正しい側の私たちは、そうでない人たちを教え導く使命がある。だから、間違った考えの人に悔い改めを促すのだ。
人を責める態度には神の愛を感じないと言う人がいるが、そんなことはない。相手を導くため、相手の間違った考えを否定するため、時に厳しく責めるのは当然で、それは神の愛の実践だ。
救われるというのは、私たちが信じる正しい教えを信じるようになることだ。
信じる者だけが救われて天国で永遠に生きることができて、信じない者は罪に定められ、地獄の火で永遠に焼かれるのだから、一人でも多くの人を導き、魂を救うべきだ。
信じるかどうかに永遠の命がかかっているのだから、場合によっては多少強引なやり方も許される。
人を惑わす有害な情報を排除して、正しい信仰を守らないといけない。無神論や他宗教だけでなく、間違った福音を説く偽キリスト教に注意し、有害な情報が入って来ないようにしないといけない。福音的でない日本基督教団やカトリック教会、進化論を認めるクリスチャン、異端などを特に警戒し、否定しないといけない。
教文館、新教出版社、日本キリスト教団出版局、岩波書店などから、正統信仰に反する本が多数出ている。そうした本は正しい信仰を持つ人や正しい信仰を求める人に有害な影響を与えるときがあるから、なるべく人の目に触れないようにし、もし読んでいる人がいたら注意すべきだ。
エキュメニズムの側の日本基督教団などの自称「主流」派、カトリック、多くのキリスト教系の大学や高校などは、自由主義神学や近代思想や他宗教の悪影響を受け、聖書を文字通り信じていない。彼らの言うことは人間の思想であり、間違ったキリスト教だ。福音派の中にさえ、彼らと交流し、悪い影響を受けてしまう人がいて残念だ。サタンのわなは巧妙で、福音派の中にまでサタンのパン種が入り込んでいる。純粋な福音主義信仰を守るために、正しい牧師先生の正しい指導だけに従うべきだ。牧師先生の許可なく勝手に他教派と交流すべきではない。また、キリスト教主義を標榜する学校の多くはサタンの影響下にあるから、入学はもちろん一切交流すべきではない。
間違ったクリスチャンたちは聖書を学問的に検討して真実を求めようとするが、無駄な努力であり、有害だ。聖書は学問の対象ではなく、信仰的に受け入れるべきものだ。聖書は文字通りに読み、文字通りに信じるべきだ。
日本聖書協会が「口語訳聖書」を出しているが、学者が学問的に訳した訳で信仰的な訳ではない。今もこの訳を使っている人たちは、信仰より学問を重視している人たちだ。信仰的には「新改訳聖書」か「文語訳聖書」を読むべきだ。英語ならニューインターナショナル版か欽定訳がよい。
聖書は無誤であり、聖書に書いてあることは、歴史的にも科学的にもみな正しい。聖書は真理であり、聖書にすべての真実がある。聖書に関係ない理論には価値がないし、聖書に反する理論は有害だ。私たちが聖書から知ることができる以外の真実など存在しない。
私たちが非難されるのは、正しいからだ。イエス様も正しいから非難されたではないか。
クリスチャンの中にさえ私たちを非難する人がいるが、彼らはサタンに支配された間違ったキリスト教を信じている。サタンの側の人たちが何を言おうが、真理の側にいる私たちが考えを改めたりやり方を変えたりする必要はない。彼らから学ぶことなど何もないし、対話の余地もない。間違った考えを断固否定して彼らを厳しく非難し、目覚めさせてあげることが彼らに対する愛の実践だ。
終わりの日は突然やってくる。
キリストは再臨し、サタンの側の勢力は滅びる。滅びてゆく世の人の主張にかかわってもしかたがない。この世の政治や社会問題へのかかわりも無意味だ。それより神の国と神の義を第一にすべきだ。
私たち、正しい信仰のクリスチャンは栄光を受け、御国で永遠に生きることができて、他はみな地獄の火で永遠に焼かれる。
その日が突然来る。だから、私たちは日々、正しい教えの伝道に励むのだ。
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とまあ、こんな考え方をしているとすれば、すべて説明できます。
なんであんなに人を責めるのか。
なんであんなに攻撃的なのか。
なんであんなに独善的で排他的で不寛容なのか。
なんであんなにひどく視野が狭いのか。
なんであんなに人の話を聞かないのか。
なんで上から人を見くだす態度なのか。
なんで聖書学者や神学者たちの長年の研究を「そんなのは間違っている」と鼻で笑って小馬鹿にするのか。
なんで社会や政治の問題にまるで無関心なのに進化論否定だけは一生懸命なのか。
なんで、普遍の人権ではなく「クリスチャンの人権」だけを考え、「キリスト教を信じる自由」「キリスト教を伝道する自由」だけを考えるのか。
ひじょうに熱心に聖書を読むのに、なんでイエスの姿勢から学ばないのか。
なんでどこを切っても同じ顔の金太郎飴のように、みんな言葉も行動も似てくるのか。
すべて説明できます。
そうした言葉や行動を非難されても、「私たちは正しい信仰だから非難される」と考えます。
純粋なキリスト教を信じていると思い込んでいますが、それを原理主義と言い、極端になればカルトと言うのです。
そうした原理主義者やカルトは、ほとんどの場合、「福音派」と名乗っています。場合によっては、「聖霊派」と名乗ったり、「純粋なキリスト教であって教派ではありません」、「私たちは宗教ではありません」などど称することもあります。福音派や聖霊派の信仰を持って穏健に誠実に生きている人たちは、同一視されて迷惑していることでしょう。
目を覚ましませんか。
「サタンの支配下にある」と思い込んでいたものが、実は多様性があり、豊かさがあり、恵みがあるって、気づきますよ。
自分たちがいた世界が、フィルターをかけられた世界で、恵みが見えにくくされていたんだって、気づきますよ。
「真理はあなた方に自由を与える」はずなのに、規則や禁止事項でがんじがらめにされていたって、気づきますよ。
豪華で巨大な船から脱出しませんか。
あなたが本当に、イエス様の方向に向かって進みたいのであれば。
参照:「平和島」
http://yamazato.ic-blog.jp/home/2017/11/post-e773.html
(伊藤一滴)
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