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地上の楽園?

米本和広『カルトの子―心を盗まれた家族 』を読みました。

理想的な社会をつくりたいという願いは昔からあって、いろいろな試みがなされてきましたが、本当に理想社会が実現した例は一つもありません。

自然発生的な共同体が相互扶助的に続いてきた例はあります(内部には、いろいろな問題もあったのかもしれませんから、完全な「理想社会」ではありませんが)。
私が住んでいる山の集落も伝統的な共同体です。江戸時代に村があったのは確かです。村の起源をどこまで遡ることができるのかわからないくらい古い集落です。
こういう集落の一員になると、私も近所から助けられたり、助けたり、「お互い様だから」みたいな感じです。

おそらく長い歴史の中で、さまざまな試行錯誤があって、みんながうまく暮らしてゆくための不文律のようなものができてきたのでしょう。そして、長く続く共同体となったのでしょう。

私も含めて山里の住民は小規模な農業を営んでいるので食べ物には困りません。自然の恵みはとても豊かです。暮らしていればいろいろありますが、山里の人たちは、それなりに、のびのびと生きているように思えます。収入は多くないけれど、あまりお金のかからない暮らしをしているので、それほど不満もありません。ストレスは少ないし、大自然が人を癒す効果もあるようです。

人間が、人間の理論で作り出した人為的な共同体が、理想社会となって続いた例は、一例も聞いたことがありません。
人間の共同体では、予測不可能なことも起きます。予測不可能なことが起きたらどうするのかまであらかじめ予測し、すべて事前に対策を立てておくなんて、できません。科学が進めばできるとか、人智が進めばできるとか、錯覚です。

人類の長い歴史の中で、誰も、一度も理想社会を実現できなかったのに、○○党だけはそれができる(他の党にはできないけれど)とか、○○会ならできる、とか、そんな話になるんでしょうか。

理想社会を主張する人たちがやっているのは、その集団の構成員に、ここが地上の楽園だと思い込ませることか、まだ楽園は実現していないがやがて来るのだから頑張ろうと思い込ませることか、どちらかでしょう。

理想社会の主張(ここが理想社会である、または、時が来れば実現する、といった主張)に、私は、共通のものを感じます。

多くはカルト的な宗教または疑似宗教です。構成員にそう思い込ませ、構成員がそう思い込んでいるだけです。

マルクス主義も、農業・養鶏を基盤にした集団生活も、エホバの証人も、自称「福音派」(原理主義者や聖書カルト)も、仏教系カルトも、みな、似ています。

完全に理想的な共同体なんて、ありません。今は実現していないが未来には実現するという確実な保証もありません。

原始的な狩猟採集生活を営む小規模の共同体であれば、原始共産制もありえますが、発達した文明社会で、文明の利器を取り入れ、かつ理想社会というのは、頭の中にはともかく、現実にはまず実現不可能でしょう。(※)

(続く)

(一滴)

※欄外に書きますが、想像してみてください。
文明社会を理想社会にしようとしたら、誰がどうやってそれを仕切るのですか。
文明社会において「能力に応じて働き、必要に応じて分配を受ける、貨幣のない社会」を実現しようとしたら、巨大な行政機構、膨大な手続きが必要になることでしょう。生産者の数より行政職員の数の方が多くなるかもしれません。それでも担当者によって不公平が生じ、どう調整するのか、かなり難しいことになるでしょう。最後は軍事力や警察力で国民を抑えつける国家、国民を互いに監視させ、密告を奨励する国家になってゆくのかもしれません。
カルト集団であれば、裏切り者を破門して団体から追放するのかもしれませんが、国家が国民を破門するわけにもいかず、処刑するとか、収容所に入れるとかするのでしょう。

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