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「聖書協会共同訳」刊行

私が住む山形県の山間部は、今年もすっかり雪の中です。
例年通り、家が雪に埋まっても大丈夫なように雪囲いをして、土間で薪ストーブを焚いています。
外は、雪が降ってます。

最近、妻から、「山里記じゃなくて、キリスト教記になっちゃったんじゃないの?」と言われているんですが、キリスト教関係のことを書きだしたら、書きたいことがいろいろあって、話が続いてます。

今月、日本聖書協会が、「聖書協会共同訳」という新しい訳の聖書を出したそうです。クリスマスプレゼントの間に合わせようとがんばったのでしょうか?
ぜひ見てみたいのですが、今のところ現物を見ていないのでコメントのしようがありません。

何しろ私は雪国の山里暮らし。しかも今は雪の中。
山の道を四輪駆動車で上って、道路沿いの車庫に車を止めてから、雪の山道を徒歩で約百メートル歩いて自宅に行くという、そんな暮らしです。車には、大雪に備えてカンジキを積んでます。

冬は、ネット通販も最小限にしています。配達員さんに申し訳ないからです。
それでもヤマト運輸さんや郵便局員さんは、歩いて荷物を持ってきてくれます。車庫に置いていいですよ、と言っているんですが、持ってきてくれます。ありがたいやら、申し訳ないやら。
(佐川急便からは電話がかかってきて、車庫まで取りに行ってます。)

そんな暮らしなので、聖書を売っている店にすぐに行けないんです。
買うなら、よく見てから買いたい。

これまでのようにイエスの言葉は「~である」調なんでしょうか。
ふつう、会話でそんな言葉は使いません。

私は「新改訳聖書」のイエスの言葉のような、ていねいな言葉づかいが好きです。翻訳の良し悪しについてはいろいろ言われていますが、現代の日本語に訳されたイエスの言葉づかいに関しては、この新改訳が特に好きです。
これは私の想像ですけれど、イエスは、一般の人にはていねいに話しかけていたのではないかと思うのです。これまでの日本聖書協会訳のイエスの言葉づかいがずいぶん居丈高に聞こえ、不満に思っていました。

今回の訳も、イエスが「~である」調で会話しているなら、買うのをやめようかな~と考えています。

よほど画期的な訳ならともかく、これ以上日本語の聖書を増やしても仕方ないかな~。

(一滴)

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