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牧師の犯罪 検討課題

牧師による犯罪について、次のような「説明」をする「福音派」の人がいます。

「サタンは、正しい教会が問題を起こせばその教会が大きく混乱することをよく知っています。だから正しい教会の牧師が特にサタンに狙われ、誘惑にあい、犯罪を犯すことがあるのです」

こうした見解には全く賛成できません。

日本基督教団、日本聖公会、カトリック教会などでも関係者による犯罪は起きています。
世の中には種々の犯罪がありますが、犯罪の発生は、その人が所属する団体の正しさの証しではありません。

正しい教会だから牧師が犯罪を犯すなどどいう「説明」を聞いた人が、「なるほど、正しい教会だ」とでも思うのでしょうか。
自分たちは正しい教会に属していて真理の側にいるのだという確信は、問題が発生したときの認識までゆがめてしまいます。ゆがんだ認識の人たちが適切な対応をするとは思えません。


私は、「福音派」と「原理主義(=根本主義、ファンダメンタリズム)」を分けて考えていますが、両者を分けない人もいます。

分けない人たちの考えでは、福音派の中に原理主義(根本主義)の立場の人もいる、ということになります。原理主義者(=根本主義者)の中にカルト化も見られますから、福音派という概念にカルトも含まれることになります。
実際、カルト化した教会の多くは福音派(または聖霊派)と名乗る教会です。

言葉の定義の問題もありますが、私の理解で、福音派(聖霊派を含む)の中の特に保守的な人たち、原理主義者、およびこれらに類する神学や教義を有する教会の問題点と感じられることを書きます。
(注)ここでは、福音派の中でも特に保守的な人たちや明らかな原理主義者らのことを言っているのであって、そうでない教会や信者には当てはまりません。

 聖書の中の神話や比喩的表現まで文字通りの事実と信じようとする

 自分たちの結論がまず先にあり、その結論に合うよう事実を無理に解釈する

 「創造科学」などのエセ科学を用いるときがある

 客観的な理論より感情に訴えることが多い

 文脈を無視して聖書を引用する

 自分が知らない分野を「それは間違っています」と言う

 キリスト信者以外はすべて地獄の火の中で永遠に焼かれると考える

 自分たちの神学や教義を絶対に正しいと信じ、それに属さない人を非難する

 牧師の権限が強すぎるように見える

 地獄の恐怖や終末論がやたら強調される

他にもありますが、特に思うのはこうした点です。
穏健な福音派の人にはあまり感じないのですが、保守的、原理主義的になるほど、こうした傾向が強いようです。
また、教会によっては、「正しい教会」の「正しい信仰」を徹底して信じるよう、マインドコントロールのような手法も使われると聞いています。これは大きな問題だと思います。


「神は唯一であり、絶対だ。聖書66巻だけが唯一の信仰の論拠であり、絶対に正しい」
それがいつの間にか、「神について語り聖書を解説してくれる牧師は、絶対に正しい」になってしまったのではないのですか。牧師は絶対に正しい者として君臨し、性犯罪まで起こしてしまった、ということではないのですか。

「イエス・キリストの再臨は突然やって来る。そのとき、キリストを信じて眠りについていた死者は復活し、生きている信者は聖とされ、神の国が完成する。キリストに属さない者は永遠の地獄で永遠に焼かれる」と教えられれば、
「永遠に焼かれるなんて、考えただけで恐ろしい。そんなことにならないよう、決して牧師先生を批判せず、どこまでもついて行く。牧師先生に悪い噂があったって、そんな噂はサタンの誘惑だ」となってしまうのではないのですか。犯罪を犯し続ける牧師は、そうした信者たちから守られます。そうでなくとも被害者は声を上げにくいのに、「たとえその犯罪が事実でも、それが世間に知れたら福音伝道にとってマイナスだ」と考える人たちもいて、なかなか表に出ません。

牧師も人間です。絶対者ではありません。

教会関係者による虐待や教会のカルト化の問題もそうですが、牧師による犯罪を検証するのであれば、その教派の神学をどのようにとらえるべきかや、伝道や信徒指導のあり方の是非まで検討する必要があるのではないかと、私は思います。

(一滴)

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