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英語の進行形 5秒ルール

中学生とき、「be動詞+動詞のing形」で現在進行形になる、と教えられました。「~している」というも意味だと。※

まあ、中学生ですから、じゃあ「愛している」も「~している」だから現在進行形なのかなんて思っちゃうわけです。

進行形になる動詞とならない動詞があると教えられ、これはある程度までは暗記し、あとは常識で判断するしかないのかと思いました。高校時代も浪人時代も、進行形にできるのかどうか判別に迷うことがありました。

進行形にできない動詞として有名なのは、

 know, love, like, hate, hear, mean, understand, believe, remember, belong, want, need, prefer, realize, suppose,fit, contain・・・・

などなどあります。

have は「所有する」という意味では進行形不可だけれど、「食べる」という意味では進行形可。

smell は「においがする」という意味では進行形不可だけれど、「においを嗅ぐ」という意味では進行形可。

taste は「味がする」という意味では進行形不可だけれど、「味わう」という意味では進行形可。

等々が出てくると、常識で理解しようとしても頭の中がぐちゃぐちゃでした。

最近知ったのですが、オンライン予備校スタディサプリ講師の関正生先生が言うには、「5秒ルール」で考えればいいのだそうです。5秒やめて、また再開できる動作は進行形にできるというんです。

なるほど、その説明はわかりやすい。上にあげた例のような動詞は5秒やめてまた再開したりできません。have にしたって、「所有する」という意味では5秒間所有をやめて5秒後にまた所有するなんてできませんが、「食べる」動作なら5秒やめてまた再開もできます。 他も同じです。なるほど。

でも、このルール、よく考えれば例外もあります。

London Bridge is falling down.(Mother Goose)

ロンドン橋が落ちてゆくのを5秒やめてまた再開するなんてできませんよ。

He is dying.

死にかけている人が、5秒間だけ死にかけるのをやめてまた死んでゆくなんて変だし。

It's raining.も It's snowing.も、5秒やめてまた再開はできないでしょう。まあ、神様ならできるのかもしれませんが。

例外はあっても、進行形になるかどうかの判別の基本は5秒ルール。これ、いいかも。

(一滴)

※厳密に言うと「be動詞と同じ形の助動詞+現在分詞」なのですが、学習者は「be+動詞のing形」で1かたまりの動詞と見なしたほうが文型を理解しやすいと思います。

高校生の頃の私は、たとえば、She is beautiful. と She is running. は、形がそっくりなんで、どっちもSVCかと思いました。でも、それは私の間違いで、後者はSVと考えるのが普通です。

『総合英語フォレスト』のこと

かつて受験生のバイブルとまで言われた英文法書『総合英語フォレスト』が、昨年、第7版を最後に絶版になりました。

うちの息子も使ってますよ。いい本なのに、ちょっと、寂しい。

う~ん。経営上のことや版権のことなど、いろいろあるのかもしれませんが惜しい本です。

1999年の初版以来、累計450万部超(桐原書店)とのこと。ものすごく売れた本なので、古本屋にもネットにも、たくさん出回っています。だから、入手は難しくありません。それに、なぜこれほど目まぐるしく改定したのかと思うのですが、新版が出ても中身はあまり違わず、特に6版と7版はほとんど同じです(それにしても、なんで14年で7回も改訂するんだろう? 広辞苑など10年に1回くらいの改訂なのに)。中身はあんまり違わないので、別に最終版でなくとも、ブックオフの200円均一本の中にある第5版か第6版を買った方が断然お買い得です。

別の出版社から似た内容の『総合英語Evergreen』という文法書が出ており、これが実質的にフォレストの第8版に当たるらしいです。でも、フォレストの監修者だった石黒昭博先生も亡くなっているし、学習者の理解を助けたかわいいイラストも、別なイラストになっているし、著者が同じでもこっちは別な本です。

やはり、寂しい。

(一滴)

付記:「うちの兄ちゃん(または姉ちゃん)が使ってたフォレストがあるから、あれをおさがりにしよう」とか、「ブックオフで200円で売ってたから、買ってきて使おう」なんてなると売れなくなるから、頻繁に「改訂」したのかな? もしかしたら『ジーニアス英和辞典』のたびたびの改訂の理由もそれ?

英語学習のこと

be動詞のことを書いていたら思い出しました。

高校生のときでした。be動詞って「~は存在する」という意味ではないかと思って、英語の先生に聞いてみたんです。そしたら、

「それは違う。文語体ではそういう意味でも使うけど、普通は「~は~だ」とか、「~は~にいる、ある」といった意味だね。他の用法も辞書に載ってるから、見ておくといいよ」

と、まあ、そういう答えでした。

今思うと、当時の私の問いとそれに対する先生の答えがずれていたのです。私は、be動詞そのものが持つ概念を聞きたかったのに、先生は日本語に翻訳するときはこう訳すという意味で答えたのです。

それは、しかたのないことです。

1970年代末~80年代の初めの高校です。当時の先生たちは、戦前・戦中生まれが多かったし、先生たちの師に当たる人たちは、戦争中にちゃんとした英語教育を受けられなかった世代ですから。

「英文を読むとはつまり日本語に翻訳すること」みたいな風潮がありました。私も、他の学習法を知らず、頑張って翻訳しようとして、なかなか英語学習が進みませんでした。漢文を読むように、ひっくり返したり、後ろを先に読んで戻ったりしながら、日本語にして読み進めようとしていたのです。

当たり前ですが、英米の人たちは、英文を左から右にそのまま読みます。ひっくり返したり、後ろを先に読んだりしません。自分もそうしてみようと思ったのは大学を卒業してからでした。

関係代名詞や関係副詞が出てきても(それが制限用法でも非制限用法でも)、左から右に読む。that節が出てきても、to不定詞が前の名詞を修飾していても、戻ったりしない。すべて、語順のとおり左から右に読む。訳す必要があるとき以外は訳さず、英文を英文として読む。そういう読み方をしてみました。

変なプライドも何もないので、英米の幼稚園児が読むような絵本を買ってきて、暗記するくらい読みました。けっこう、楽しく読みました。次に英米の小学校低学年向きの読み物を買って、これも何度も繰り返して読みました。そうやって、少しずつ読む本のレベルを上げてみたのです。英語の感覚のようなものが、だんだん身についてゆくのがわかりました。これは、それまでやったどんな英語学習より効果的でした。

今はいろいろな学習法が言われ、辞書も文法書も充実していますが、私が中学・高校の頃は、日本式の受験英語が主流でした。

私の本当の英語学習は、大学を卒業してから始まりました。

(一滴)

be動詞って何だろう?

This is a pen.

これが、私が中学1年のときの英語の教科書の最初の文でした。この is がbe動詞です。原型がbe、主語の人称や時制によって変化します。

be動詞をどう教わったのか、はっきりとは思い出せませんが、たぶん、「is や are といったbe動詞というのは、~は~ですという意味です」といった説明だったと思います。中1の私は混乱していました。

たとえば、

「僕は昼にカレーを食べたけど、君は何を食べた?」「私はスパゲッティです」

「私は日本酒が好きだが、君は?」「僕はビールです」

といった「~は~です」という表現は、日本語として不自然ではありませんが、「A is B」にはなりません。

今とは違います。40年前の山形県の農村の中学生です。英語にまったく触れずに中学生になったのです。何の予備知識もありません。

「A is B」が「AはBです」なら、「AはBです」は「A is B」になるのではないかと思ったのです。なぜ、上のような文にbe動詞が使えないのか、中学生になったばかりの私にはまるでわかりませんでした。

その後、「be動詞とは=のこと」と教えてくれた人がいました。「A is B」とはつまり「A=B」なのだと。そう考えれば上の例はイコールにはならないわけだから説明がつきそうですが、それでも、やはり混乱しました。「A=B」なら「B=A」が成り立つはずだ、これが成り立たないなら=ではないはずだ、と数学的に思ったのです。

たとえば、

She is beautiful.

という文章の、左右を逆にできるのだろうか。逆にしたら変だ。

He is a teacher.

はどうだろう。これも左右逆にしたら変だ。だったら、イコールじゃない。

「be動詞って、いったい何だ」という謎がずっと私の頭の中にありました。

今は答えられます。be動詞はbe動詞です。ぴったり当てはまる日本語はありませんが、あえて言えば、「~は存在する」といった感じの動詞です。「~は~というものとしてある、いる」といった意味になって、訳せば「AはBです」となるときも多いのですが(SVC)、場所が示され、「~は~にある、いる」となることもあります(SVM この場合、 S は一般に特定の人や物)。引用などで、「存在する」という意味で出てくることもあります(SV)。

でも、どれにしても、「~は存在する」ということです。

例を挙げます。(英文はどれも「ジーニアス英和辞典」より)

1(SVC)John is a lawyer.

2(SVM)The radio is in my room.

3(SV) God is. 

1の例。「ジョンは存在する、一人の法律家として」→「ジョンは法律家です」

2の例。「そのラジオは存在する、私の部屋の中に」→「そのラジオは私の部屋にあります」

3の例。「神は存在する」(文語的な表現、今は There is God. が普通)

よくイコールで説明されるのが1の例ですが、C が特定の人や物のとき以外、左右の入れ替えはできません。英語の先生は、数学の先生と何も打ち合わせをせずに、S=C なんて教えてしまうんです。数学的に S=C が成り立つなら、必ず C=S も成り立つはずなのに。左右を逆にすると成り立たないのにイコールで結ぶってどういうことなのか、中学生は(高校生も)混乱します。「be動詞というのは、~は~ですという意味です」なんていうのは、もっと混乱する説明です。

2の例は、第1文型だと教えられます。in my room は場所を示す副詞句であって、文の構成要素ではないと言われ、また混乱します。文の構成要素でないなら、削除しても文として成り立つはずだと思うのです。The radio is. そのラジオは確かに存在すると文語的に言えばそうかもしれませんが、どこにあるのかを相手に伝える肝心な言葉が抜けています。S,V,O,C のどれにも当たらないという意味で文の構成要素ではないけれど、その文の中で欠くことのできない修飾語句があります。もちろん、このbe動詞はイコールにもなりません。

3の例は、今では特殊な言い方とされ、あまり教えられていないのかもしれませんが、私はこの表現にbe動詞の根本を感じます。「~は存在する」ということです。 1の例も2の例もまずそれがあって、どのようなものとしてあるのか、どの場所にあるのかが、あとにあるのです。

ちなみに、There is God. のような There is 構文も、中学生の私にはわけの分からない文でした。この構文の There は、もともとは「そこに」という意味の副詞でしたが、歴史の中で「そこに」の意味が失われ、単に存在を示すようになったのだろうとのことです(『実践ロイヤル英文法』他)。だから、主語の位置にあっても主語ではなく、形だけの副詞と考えられ、この文は第1文型になります。

このあたりが、英語の学びの場できちんと伝わっているのでしょうか。

(一滴)