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「いと小さき者の一人」に 補足

季節は冬で、周りは雪で、農作業も出来ないし、建築の仕事もはかどりません。冬は夜も長いです。毎年、冬は作業の準備時間が長く、道具の手入れをしたり、片づけをしたりしながら時を待ちます。また冬は思索の時でもあります。この冬は「新約聖書」を複数の翻訳で読み返しました。

それで気づいたことを少し・・・・。

私は以前こう書きました。

http://yamazato.ic-blog.jp/home/2013/02/post-eb29.html

考えは変わりません。ただ、引用に不十分な箇所があったので、補足します。

あのとき、たまたま手元にあった日本聖書協会『聖書・口語訳』の「マタイによる福音書」25:34~25:40を見たのです。頭の中には文語訳聖書の記憶もありました。こうあります。

『聖書・口語訳』より引用

 25:34そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。 25:35あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、 25:36裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。 25:37そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。 25:38いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。 25:39また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。 25:40すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。

引用終了

35節や38節に「旅人」と出てくるので(文語訳も「旅人」)、常識的に、それは「旅行中の人」だと思ったのです。

今回、複数の翻訳や聖書注解、新約ギリシヤ語辞典まで引っぱり出して見てみたら、原語は「旅人」というより「よそ者」「寄留者」といった意味の語だとわかりました。旅人もよそ者でしょうけれど、もっと広い意味の語です。

今、米国の大統領のめちゃくちゃな発言やめちゃくちゃな大統領令、またその影響について、日々報道されています。 米国の大統領は、自分をキリスト教徒と称しながら、その言動はキリストの教えと正反対で、現代世界のいと小さき者たちを排除する発想に貫かれているように見えます。いと小さき者とは、空腹の人、渇いた人、よそ者(難民、移民を含む)・・・・、といった人たちです。こうした人たちを排除するのは、主なるキリストを排除するのと同じです。実際、イエスもまた、時の権力者から排除され、殺されています。

「わたしの兄弟」とは誰なのか解釈の余地もあるのでしょうが、我々は、この世界のすべての人々を指していると考えます。だから、人種も、国籍も、民族も、性別も、宗教も関係なく、この地球に生きるみんなが兄弟なのです。

マタイ伝のイエス・キリストの言葉を前田護郎訳で引用します。「本当にいう、このいと小さいわが兄弟のひとりにあなたがたがしたことはわたしにしてくれたことになる」(マタイ25:40)。「本当にいう、あなたがたがこれらいと小さいものにしなかったことはわたしにしてくれなかったことになる」(マタイ25:45)。

イエス・キリストを排除するに等しい暴君が大国の大統領になりました。彼が1日も早く自分の誤りに気付きますように。

世界のキリスト教徒は今、その信仰を試されています。

(伊藤一滴)

補足:以前、「いと小さき者の一人」について書いた頃、前田美恵子(神谷美恵子)の言葉が頭にありました。今の私は、神谷美恵子の限界や誤りにも気づいているのですが、今はまだ、自分の言葉でうまく言えずにいます。時が来たら、ちゃんと論拠を示して、考えをまとめたいと思っています。

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