民主主義・資本主義の限界
もちろん、何でも「社会が悪い、政治が悪い」と言うだけで自分は何もしないとか、とんちんかんなことをするとかが、いいはずはないです。今起きていることが、本当に社会や政治の責任なのか、見抜く目が必要だと思います。「社会にも政治にも関心ありません」なんて人に、私は、高い評価を与えたくはないです。
さて、私が中学生だった頃、民主主義が最高の制度であり、資本主義の文明こそが文明の頂点だと、素朴に思っていました。私の親も、当時の教師の多くも、戦中を生きた人たちでした。民主主義がいかに素晴らしいかを語っていたし、封建時代は不平等でよくないし社会主義だと競争がないから良い製品が出来ないと聞かされ、資本主義が一番良いのだと思っていました。
その後、私は現実を見ました。民主主義の社会に生きる国民が、時の勢いに乗って、やがて自分たち国民の自由を奪うような人に政権を委ねてしまうこと。また、一部の地域や一部の人たちに負担が集中するような政策を数の力で決めてしまうこと。それが、「選挙で選ばれたのだから」、「多数決で決まったのだから」となる現実を。
資本主義もそうですが、民主主義も、自分の損得や目先の損得で判断します。あの候補者が当選すれば当面は得をし、遠い未来には大損するとわかっていても、それでも入れるのが民主主義です。
資本主義は、どんどん生産して供給して発展していくやり方ですから、開発途上や戦災復興などのときには力を発揮しても、平和で物が豊富な世の中になると行き詰ります。これ以上、何を作り誰に売るのか困り出しても、止められないのです。生産し、供給し続けなければ資本主義が続きません。使える物を捨てながら、無駄な物を作って買い続ける。あまり意味のないモデルチェンジや、使いこなせないほど機能がついた製品が出回り、破綻するまで「発展」を続けるしかない。残るのは環境破壊とごみの山です。
でも、民主主義、資本主義を超える制度に人類はたどり着いていません。下手にこの制度をいじると、より悪い社会に向かってゆくかもしれません。欠点も限界も解っているのに超えられない。そこに、歯がゆさを感じます。
(伊藤一滴)
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