真壁さんを送る
私は農家の生まれではなく、農作業というものを知らずに育ちました。妻もそうでした。そんな私たちは、都会の暮らしに疲れ、街の喧騒に疲れ、山間部での暮らしあこがれて、山形県村山地方の雪深い山里の古民家に引っ越してきました。2005年の早春でした。あたりはまだ、一面の雪景色でした。
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農業へのあこがれもありましたが、親戚も知人もいない山里に来て、どうやって農業を始めればいいのか、まるで見当がつきませんでした。
そんなとき、近所の真壁(まかべ)さんという方から田んぼの手伝いをしてみないかと言われ、私は喜んで「はい」と返事をしました。来年からは真壁さんのお手伝いだと張り切っていたら、真壁さんは足を悪くされ、「この足では農業は無理になってしまった。田んぼを貸すからやってみないか。必要なことは教えるし、道具は全部貸す」というのです。私は素人だし、迷いました。妻とも話し合い、2人でどうするか迷ったのですが、農業を始めるチャンスでもあったので、形の上では「農業の手伝い」ということにして、真壁さんや近所の農家の方々に教わりながら、稲作を始めたのです。
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ちょっと、無謀とも思えるスタートでした。そんな私たち夫婦に、真壁さんや近隣の方々は、本当に親切にしてくださいました。そうやって最初の年から、それなりの収穫がありました。
その後、だんだんに農作業を覚え、正式に農業者の資格を得て、50アール(5反=1500坪)ほどですが自分たちの農地も手に入れました。真壁さんのおかげで農業がスタートしたのです。
昨年お会いした時、いろいろ話もできましたし、お元気そうでした。その後体調を崩して入院されたと聞いていたのですが、高齢者ですし、よくあることだと思い、そのうちお帰りになるだろうと思っていました。
訃報を受けたのは寒い朝でした。享年89歳でした。
近所衆で葬儀を手伝いました。もちろん、私も駆けつけました。ご遺族が痛々しく見えました。
葬儀が済んで、遺骨になって自宅に戻られた真壁さんに、最後に手を合わせました。真壁さん、ありがとうございました。御恩は忘れません。
(伊藤一滴)
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