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暴言は自分の傷を深くする

ネットの海の中には、人に暴言を吐いて、相手を傷つけて、それで得意になっているような人がいるけれど、その人も、ひどいことを言われ続けて傷ついているのかもしれない。

いじめや虐待が連鎖してゆくのと、似ているように思えてくる。

暴言は、うさ晴らしかもしれない、そのときはスカッとした気持ちになるのかもしれない。しかし、他者に対する言葉や態度は、結局自分に返って来る。人を憎む人は憎まれる。憎まれて、さらに自分の傷を深くする。

私は、ネットで暴言を吐き散らす人たちを責める気になれない。その人も、深く傷ついているのかもしれないのだから。「馬鹿」「頭悪いね」「死ね」。その人も、そう言われ続けてきたのかもしれないのだから。ただ、気づいてほしいと願う。暴言を吐く者同士が群れてみても、それは真の仲間ではない。真の仲間とは、お互いを高め合う存在だ。暴言は自分の傷を深くする。そのとき一時的にスカッとしたような気持ちになったとしても、自分を本当に癒してはくれない。憎しみの報いは自分に返って来る憎しみであり、嘲笑の報いは自分に返って来る嘲笑だ。そうやって、自分の傷をより深くするだけなのだ。そのことに、気づいてほしいと願う。

(伊藤一滴)

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