デモは日本の希望 そして第2ステージへ
早稲田大学の長谷部恭男教授の言葉を紹介します。
「デモに行くのは、選挙に行くよりはるかに時間とコストがかかる。それでも世のために、声をあげなければと思う個人がたくさんいた。自分の利害を脇において、公共の利益のために身を捧げる。まさに共和主義です。組織や団体の動員ではなく、自分の判断で動いているから、今後も声は上がり続けるでしょう。日本の希望だと思います。」
(出典:9月27日(日)朝日新聞「長谷部・杉田 論考」。山形県内で配達された版なので、他の地域では掲載日時が異なるかもしれません。)
私も、今回各地で行なわれたデモは日本の希望だと思います。動員されたわけでもなく、非常に多くの人たちがデモに参加しました。私も国会前まで行きたかったのだけれど、事情で出来ず、せめてもの思いで山形県内のデモに参加しました。みんなのために、日本の未来のためにという思いです。労力もかかりますが、それでもデモに行った人がたくさんいました。高齢の人、子どもを連れた人もいました。学生たちも立ち上がり、各地で声をあげました。国会前をはじめ、各地に広がったデモは日本の希望だと思います。
現在進行中の「15年安保」は、日本の民主主義の試金石とも言えます。60年安保や70年安保とは違います。そもそも左翼の主導ではないし、社会主義化を目ざしているわけでもありません。
今回の安保法制(戦争法)に対する反対派と賛成派との対立は、知性と反知性、理性と反理性、立憲主義と反立憲主義、法的安定性を確保しようとする側と法の秩序を崩す側、最高裁判決の常識的解釈と強引なこじつけ、権力の暴走を防ぐための慣行と安易な慣行破り、ブレーキとブレーキ外し、言論の自由を守ろうとする側と言論に介入して圧力をかけようとする側・・・・、といった対立になってきました。もう、右と左、保守と革新、タカ派とハト派・・・・、といった対立を超えています。例外もあるにせよ、大局的に見るなら、憲法を頂点とした法の秩序を守るべきだ、という知性派の側と、日本を取り巻く情勢は変化しているのだから法律論にこだわらず総理大臣の見解を今の秩序とすべきだと言わんばかりの勢力との対立と言えます。安保法(戦争法)賛成派がどこまでも突き進むなら、その行先は全体主義国家、独裁国家でしょう。「日本を、取り戻す」と息巻くあなたがたの、取り戻したい「日本」とは何ですか。戦時中の日本ですか。それとも人間よりも経済を優先する、人を人と思わないブラック企業のようなブラック国家の日本ですか。
我らの第2ステージです。落選運動を広げましょう。対立する相手を憎むのではなく、彼らが目覚めてくれるよう祈りながら、駄目は駄目と言い続けるのです。この「15年安保」を安保闘争にしないで、戦争法の無効化・無力化のための広範囲な祈りにしたいのです。キング牧師はガンジーの言葉を引用して言いました、「殴られても殴り返すな、撃たれても撃ち返すな」と。また、聖書を引用して言いました、「あなたの敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」と。ガンジーやキング牧師に学びたいと思います。
安保法 賛成議員を 落選させよう。
(伊藤一滴)
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