安保法案成立後の静かな気持ち
2015年9月19日(土)未明、憲法違反が疑われる安保法案(戦争法案)が参議院で可決され成立しました。
自分でも不思議なくらい私の心は静かで、敗北感や挫折感などはありません。広範囲に、一般市民が立ち上がり、安保法案に反対の声をあげました。学生たちも大活躍しました。特に、SEALDs(シールズ、正式名:自由と民主主義のための学生緊急行動)の活躍には感銘を受けました。
これまで、政治的なデモといえば、左翼団体や労組が主導するイメージがありましたが、今回、左翼でも労組の活動家でもない一般の人たちが広く声をあげたのです。
私は、そのことを嬉しく思います。安保法が通ってしまった口惜しさより、一般市民が声をあげたという嬉しい気持ちの方が大きいのです。
今回、仏教徒やキリスト教徒らが多くの声をあげました。SEALDsも、もともとは首都圏のクリスチャン学生を中心とした集まりからスタートしたものです。(一部に、SEALDsの活動を、何が何でも左翼と結び付けたい人がいるようですが、それは、自分の頭で理解できないことを別な話にすり替えてしまう歪曲です。)
SEALDsのメンバーの1人で、横浜市立大学の学生、桑島さんのスピーチの一部を抜粋して引用します。
「クリスチャンの友人と共に祈る時、世との違いを決定的に感じるのは、権力者、政治家のために祈れるということです。安保法案に反対しながら、安倍首相をはじめとする政治家のために祈る人、その背後で動かしているアメリカの権力者のために祈る人、脅威とされているテロリストのために、北朝鮮や中国のために、祈る人がどれだけいるでしょうか。」
左翼の人たちの主張や行動には「怒りのパワー」を感じます。権力者に対する怒りや憎しみがみなぎっているのを感じ、それが自分に向けられたものでないとはいえ、怖くなることがあります。政府のやり方に反対する左翼の主張と宗教者の主張は、一見、似ているようですが、対立する相手のために心から祈ることができるのかという点が、決定的に違うようです。
20世紀の経験から学ぶべきでしょう。軍事力や、怒りや憎しみのパワーや、力強い政治指導者らは、人類の精神性を高めてはくれませんでした。むしろ、学ぶべきは、ガンジーやキング牧師の姿勢でしょう。
「安保法 賛成議員を 落選させよう」と私が言うのは、彼らを憎むからではありません。私たちの大切な祖国日本が、目を覚ましてほしいからです。
(伊藤一滴)
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