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出生差別

著名な作家のA氏が全国紙に書いたコラムが人種差別にあたると問題になっています。外国人の労働者を受け入れるべきだとした上で、20~30年前の南アフリカを例に「居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい」としており、こうした主張がアパルトヘイト容認ともとれるため、問題になっているのです。

A氏のコラムは、どう考えても人種差別そのものとしか言いようがありません。私は、人種差別コラムが全国紙に堂々と載る日本の現状を悲しく思います。差別だという批判に対し、A氏が見苦しい「反論」をするのも悲しいです。それ以上のコメントはありません。

それより気になったのは、ネット上でA氏を非難する人の中に、氏の「生まれ」を問題にしている人が少なからずいることです。A氏は、大物右翼の隠し子である、顔も似ている、あの親だからあの子なのだ、といった非難です。

それが事実であってもガセネタであっても、そのような非難は、非難としておかしいです。それはA氏が書いた人種差別コラムと同じ、出生差別です。人は、自分がどの国のどの地域に生まれるか、どの人種・民族に生まれるか、自分では選べません。どの親から生まれるかも選べません。あとから努力して自分の「生まれ」を変えることもできません。本人が選ぶことも変えることもできない「生まれ」を理由に相手を非難する発想が、そもそも差別です。これは、その人の見解に反対するやり方としてもおかしいです。「生まれ」に優劣をつけようとするのはヘイトスピーチと同じ絶対悪です。言論に値しません。言論活動では、絶対に使ってはいけない反則なのです。

A氏の人種差別コラムに反対する人が、A氏の「生まれ」を攻撃すれば、自分も同じ差別をしていることになるのに、おそらくその人は、それが差別だと気づいていないのでしょう。とても残念に思います。

(伊藤一滴)

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