神の存在(話の続き)
神の存在というのを理屈で考えようとすると簡単に答えられない話になってしまうのですが、人間は理屈だけで生きているわけではありません。
直観的な認識、というものがあります。たとえば、「人を殺してはいけない」というのは理屈や経験以前の話です。私が、これまで聖書だの仏典だのを読んだから、人を殺してはいけないと思うようになったというのではなく、また、法律で禁じられているからでもなく、そもそも人を殺してはいけないのです。宗教や道徳の教えは、こうした認識を強める働きがあるかもしれませんが、無の状態に認識を与えるものではないと思います。
経験からの判断、というものもあります。学習したことや、人との対話、読書なども含めて、また、自然の中に身を置いたときの感覚、労働の体験や労働で身体に刻み込まれた感覚なども含めて、喜びも、悲しみも、楽しみも、苦しみも、皆含めて、広い範囲の、広い意味での経験です。もちろん、経験による判断がいつも必ず正しいとは限りませんが、どちらかと言えば、広い経験からの判断は、正しいことが多いようです。
私は、私が知る限りの、直観的認識や、歴史的経験から、「神の存在を頭から否定してかかることは出来ない」と考えます。
(伊藤一滴)
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