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置かれた場所で咲く

あけましておめでとうございます。
昨年の末はとにかく忙しくて、ブログ更新も出来ずにいました。
長い建築不況で、建築従事者が減ってきています。震災復興で、太平洋側に行って働いている人もかなりいます。消費税が増税されるというので、駆け込み需要も起きてきました。
とにかく忙しく、業者に声をかけてもなかなか来てくれません。お客さんからは催促されるし、忙しいのに空回りも多く、ちょっと疲れました。

昨年、渡辺和子氏(ノートルダム清心女子大学理事長)の講演会に行く機会がありました。講演の内容は著書にあるとおりの話ですから(『置かれた場所で咲きなさい』)ここには引用しませんが、本人の肉声は心に響きました。ご高齢とは思えない、はっきりとよく通る声でした。

お話を聞いて思いました。
人生には、予想できない展開があります。想像もつかないようなことになり、行くつもりのなかった場所に行き、住むつもりのなかった場所に住むことになるかも知れません。自分の立場や仕事が、あらかじめ考えていたのとかなり違ったものになるかも知れません。病気になる、事故にあう、家族を失うといったことが、突然起きるかも知れません。

でも、自分の運命を呪っても、何も良くなりません。
人を羨んだり、憎んだりしても、やはり何も良くなりません。

こうあるべきだ、こうありたいと思うのも大事ですけれど、それを硬直した考えや他者への嫉妬にしないで、理想を持ちつつも置かれた場所で咲く、根っこは動かせなくても、少しでも可能性のある方向に葉を伸ばし、茎を伸ばして咲く、そういうことも必要なのだろうと思いました。自分がその場所に根付いたというのは、なにか意味があり、なにか見えない可能性や自分の役割があるのかも知れないのですから。

私自身、恵まれた家庭に生まれたわけではないですし、過去には差別的な扱いも受けました。その後も、さまざまな挫折があって今の自分があります。でもそれは無駄ではなくて、苦しい思いもしたから今の自分があるのだと思います。

残念ながら、より良い未来が見えてきません。
でも、少しでも可能性があるなら、未来を信じたいと思います。

置かれた場所で咲く。たとえ誰も見ていなくても、鳥や虫たちが見ているかも知れません。なにより、天が見ています。

困難な時代に向かっていくときであっても、最後まで可能性を信じ、最後まで未来を信じて花を咲かせる。それでいいじゃありませんか。
(伊藤一滴)

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