理想の自給生活を目ざして
今年(2012年)も稲刈りが終わりました。
9月最後の土日、妻と2人で、2日かけて刈って干しました。
稲の束を稲杭(いなぐい)にかけて天日干しです。
田んぼは自家用に借りていて、1反2畝(いったんにせ=360坪)ほどあります。私の家と父母の家で食べて、妻の実家などにも送っています。
今年は天気に恵まれ、田んぼは豊作でした。
報道では記録的な暑さだと言われていましたが、山里で暮らす私は、あまり暑さも苦にならず、市街地に住む人たちには申し訳ないみたいな夏でした。
だんだん、自家の農作物の自給率が高くなってきて、米は完全に自給ですし、野菜もほとんど買わずに済んでいます。
ジャガイモ、冬野菜、豆類も、ほぼ自給できるようになりました。
残暑が続いたおかげで、山里でもトマトだのオクラだのがよく採れました。ソバも順調です。
中2、小6、小1の子どもたちが、かなりご飯を食べるようになりましたが、お米は完全に自給なので安心です。
私が住む山形県内陸部の山間地は、冬はかなり雪が積もり、自宅の1階が雪に埋まります。私の住む地域では、山の雪が地下に滲みて地下水となり、やがて湧き水となり、今年のような雨の少ない年でも水不足になりません。
「雪が多くて不便でしょう」とよく言われるのですが(まあ、たしかに大変な年もありますが)、豪雪は豊かで良質な水の貯金という面があります。
雪国の人の相互扶助的な気質、自然に囲まれた日々の暮らし、育児のしやすさなど、総合的にみると「雪国の山間部は暮らしやすい」と思います。
雪に閉ざされる冬の間は、保存のきく冬野菜・漬物・乾物などを、春までの分、確保しておきます。魚や肉は、時々ふもとの店まで買いに行きます。何も真冬にキュウリやトマトを食べる必要はありません。米や野菜や漬物・乾物などの備蓄は、昔の人が普通にやっていたことで、別に不便は感じていません。
冬は自動車が入れないので、春までの分の焚き物、灯油、プロパンガスも確保しておきます。目標は、なるべく焚き物の比率を上げ、石油系燃料を減らすことですが、今のところ併用です。薪もなるべく効率よく使い、無駄のないよう工夫したいです。(燃焼効率がよくて少ない薪で暖まる薪ストーブを使う、薪ストーブに適さない細い枝は囲炉裏に使うなど。灰はクレンザーがわりにしたり、わらびのアク抜きや肥料にしたり。)
自給生活に近づくというのは、不便どころか、強い暮らしへの接近です。しかも、楽しみがあります。
作業もありますし、大変さもありますが、作物の栽培も、収穫・加工・備蓄も、自然を相手にした種々の作業も、それが生活に直接結びつくので、やり甲斐のある作業です。
現金収入はそれぼど多くはありませんが、育児環境、生き甲斐、人生の楽しみといった点から見たら、私の一家は「とてもいい暮らし」をしているのかも知れません。
(伊藤一滴)
補足1 震災の時に感じたこと
普段から上記のような生活なので、昨年の大震災のときも食料の確保にあせることはありませんでした。震災のあと停電が続きましたが、調理はガスコンロと薪ストーブ、暖房も薪ストーブと旧式の反射式石油ストーブを使い、寝るときは湯たんぽを布団に入れたので、寒くはないし、それほど不自由しませんでした。ただ、停電がいつまで続くかわからないので懐中電灯の電池をなるべく節約し、夜間の照明を石油ランプとロウソクだけにしたので、電気の照明に比べれば暗いのと、子どもがロウソクの火にちょっかいを出したがるのがちょっと困りましたけれど。
震災の日の夜、心配になって近所の高齢者の家に寄ってみましたが、みんな、強いです。七輪で調理している人もいました。昔の暮らしを知っている人は強いです。大企業が供給する物品(特に電気、電子制御機器)への依存度が高いほど、災害時には致命的だと言えます。しかも、普段からそうした「便利で快適」とされる物品への依存度の高い暮らしをするのは、私の経験では、楽しくないです。自分で工夫する余地が狭められ、完成品をお金で買い、企業が指定した通りに製品を使い、消費するだけのような暮らしになるのですから。
補足2 企業の製品の管理下で生きる幸せ(?)
何年も前ですが、銀行に行ったときに「最高の幸せ、オール電化」というパンフレットを見て、驚き、あきれました。企業の製品の管理下で生きるのがそんなに幸せなのか、と思ったのです。私は、囲炉裏で魚を焼いているほうが幸せです。
補足3 「近代的な暮らし」を経ての自給生活へ
私が以前、ある組織に務めていた頃にしていた仕事の中には、何の意味があってやっているのかよく解らない「近代的な仕事」もかなりありました。何のため、誰のためにやっているのか解らない仕事で得た収入で、スーパーから食料を買って食べる暮らしをしていました。その食料も生産者不詳で、農作物など、まるでプラスチックで作った模型のようにきれいで、虫食い一つありませんでした。
街の中で、人工的なものに囲まれ、近代的な暮らしをしながら子どもを育てる中で感じた疲労感については以前から書いている通りです。駅やスーパーに近い郊外の新興住宅地なら、便利で、昔からの風習にしばられることもなく暮らしやすいだろうと思ったら、大間違いでした。
人は、自然とのつながりや他者とのつながりの中で生きています。人工的なものに囲まれ、近所づきあいもなく、信頼できるお店との人間的な会話もないような暮らしがどれほど住みにくいか、やってみて知りました。
そうした「近代的な暮らし」を経てたどり着いたのが、いまの山里の古民家暮らしであり、自給を中心とした小規模農業なのです。
補足4 新聞入れ
うちの次男(小6)が、先生から
「何か家のお手伝いをしましたか?」
と聞かれ、
「新聞入れをしました」
と答えたら、
「そんなのお手伝いになりません」
と言われたそうです。
先生は、玄関からちょっと新聞を持って来るようなイメージだったのでしょう。
我が家は、特に冬は、雪の山道を100メートル以上歩いて公道に出て、公道沿いの車庫にある新聞受けからその日の新聞を取って、濡らさないようにしながらまた歩いて持って来ないといけないのです。
大雪の朝など、私でも大変です。これを小学生がやるのですから、立派なお手伝いです。
すてきな暮らしをなさっていますね。
味わい深い毎日の手ざわりがつたわってくるようです。自分の手で育てた作物を食べて暮らすとは、最上の贅沢ですね。
以前は当たり前だったことが、どんどん「時代遅れ」になっていき、人間が自分自身の手でできることをどんどん失っていく時代に生きることに、抵抗する気力さえ失いつつある日々です。これが現代人の暮らしなのですよね・・・悲しいけど、現状から逃れられない現実が重いです。
私も田舎に家を建てましたが、忙しすぎて街場のマンションから引っ越すことができずにいます。
投稿: ぱく | 2012-11-03 01:59
新築おめでとうございます。
私も、山里に家を得てからしばらくは山の家はセカンドハウス状態でした。週末に家族で出かけて泊まってくると、とても癒されるのを感じました。何度かそんなことをしていたら、そのうち妻の方が積極的に、早く山里に移住したいと言うようになりました。
「時代遅れ」が好きです。その良さに気づいている人がいるし、今後も、わかってくれる人が出てくるだろうという希望はあります。
(一滴)
投稿: 一滴 | 2012-11-09 17:21