非常勤講師になりました
この春から、ある学校の非常勤講師になりました。
建築の講師です。非常勤ですから、私の授業は週に1回くらいです。
自分からそういう仕事を探していたわけではありませんが、たまたまある方の紹介で講師の仕事の誘いを受けました。お受けすべきかどうか、迷いました。建築の先生に知り合いはいますが、私自身は経験がありません。それに、建築業、農業、そして講師まで引き受けたら、二束わらじどころか三束わらじみたいになってしまい、手が回るんだろうか、とも思いました。
それでも、私は思ったのです。私には、私なりに建築の理想というものがあります。しかし、理想を実現したいと思っても、法令上の制約、社会的な制約、私の残りの人生の時間などを考えれば、私だけでやれることには限りがあります。だったら、理想と思っていることを後の人たちに伝えたいという思いが強くなり、多少無理をしてでも講師の仕事をお受けすることにしました。
1コマいくらの非常勤講師です。授業の準備に費やす時間も考えれば、かけた時間に対する収入は低いですが、これは、お金がどうこうの問題ではありません。
そういう私の気持ちを妻が理解してくれまして、申し訳ないくらい協力してもらっています。
ふだん滅多に着ないスーツを着て教壇に立っています。
担当は「建築構造力学」と「建築構法」ですが、私の話は、日本の伝統民家のことや、日頃このブログに書いているようないろんなテーマに広がっていきます。
「銀河鉄道の夜」の初めに出てくる先生の、あのていねいな言葉づかいが好きで、私も生徒を呼ぶときは「何々さん」と呼んでます。
私が建築学生だった時の経験から考えても、構造系の分野の勉強は大変だと思いますが、みんなまじめです。
私も、生徒たちの熱意に応えられるようがんばってみようと思います。
(「建築の勉強をしても、ヒノキ、マツ、スギの区別も出来ない人が多い」とよく言われるのですが、ヒノキ、マツ、スギの区別は、これから実物を見せて教えます。)
(伊藤一滴)
一滴さんは、マルチに活躍なさっておられますね。そのバイタリティーたるや、凡人では到底かなわないような気がいたします。それでもその活動のすべてが一滴さんのなかでは一貫性をもってつながっているのでしょうね。素敵なことだと思います。
私も今の仕事に就かなかったら、建築家になりたい!と若いころ無謀にも思っていました(・・;)。建物ってそれだけでいろんな歴史を感じて面白いですよね。中世の教会はそもそもどういう構造計算がなされているんだろう?とか、世界の全く異なる場所で、似たような建物が建てられているのは何故だろう?とか・・・・興味は尽きないです。昔、父の実家が水没地区になったことがあって、今の私なら移築も提案したのに!と悔しくなることがあります。土地の風土に根差した建物を大事にしていけるような文化が必要だと思います。
投稿: ぱく | 2011-05-27 08:35
気がついたら、今の自分になっていました。いつの間にか。
欠点だらけで、それこそ「春」と「修羅」を彷徨する自分です。
ヨーロッパで、建築の力学的な解析が始まったのは17世紀と聞いています。それ以前は、大聖堂のような建築さえ経験的に造っていたわけで、すごいです。
形の美しさと力学的に理にかなっていることとは関係しているように思えます。(計算がすべて万能ではありませんが。)
古い建物が好きで、できるだけ古くからある建物は残したいと思っています。そういう考えで建築の商売をしても、もうからないです。これはもう、仕方ないです。
前回の補足
「死が終わりではない」と言うと、何だか話が宗教的になってしまうのですが、「無になるという意味での死というものはなく、死とは次の段階への移行」(エリザベス・キューブラー・ロス)と言われると、妙に納得してしまいます。
(一滴)
投稿: 一滴 | 2011-06-01 11:17