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やはり、じねんと生きたい

ジネントって一体なに? 何語? と聞かれるのですが、日本語です。

前にも同じようなことを書いて芸がないんですが、「ジネントってなに?」とよく聞かれるんでまた書きます。

「ジネント」というのは、山形弁で日常的に使っている言葉で、たぶん、「自然と」の古い読み方だと思います。たとえば、「慢性の病気は温泉にでも行って、じねんと治すとい~んだ」みたいに使います。どういうわけかジネンとかジネンニとは言わずジネントと言います。
私はこの言葉が好きです。

ちなみに、自然(じねん)を『広辞苑』で引いてみたらこう書いてありました。
「おのずからそうあること。本来そうであること。ひとりでに。」(『広辞苑』第五版)

本来あるべくしてそうある、あるがままにある、無理なことをしない、自然(しぜん)の道理に従う・・・、そんな生き方をしたいです。

それは、なにもしないとか、流されるとかではなくて、本来そうすべきだと思うことをしたい、ということです。

結果、たどり着いたのが、山里暮し、古民家暮し、農業の開始でした。
家族で山里に転居した6年前も、今も、気持ちは変わりません。

「よく奥さんがついてきたね」と言われるときがありますが、山里暮らしは、むしろ、妻の方が積極的でした。

街の中で、人工的なものに囲まれていると疲れます。
人間関係が稀薄なのも、一見、自由でいいようだけれど、実は疲れます。
どこまでも進歩・発展を追及するのは、うんと疲れます。

私は、自然体でいいのです。じねんと生きていきたいです。
(伊藤)

コメント

ジネント、いい言葉ですね。

現代都市生活は、極端な知性化により、大脳皮質の機能ばかりが肥大化したような状態に支配されているといっても過言ではないと思います。知性が作り出した観念によって苦しみ、葛藤し、精神が疲弊していく。

人間は、考える動物だけど、「考える」だけではないはずです。
自己対自己、あるいは、他者との競争による葛藤から自由になって、あるがまま、ただ立っている、お日様に向かって、ただ存在している、そんな瞬間があってもいいですよね。野に咲く花のように。

自然と、ジネント・・・・

ぱくぴちさん、ありがとうございます。空の鳥や野の百合のように自然体で生きるのが理想でも、現代社会ではなかなか難しいです。でも、自然の中に身を置くと、自分が癒されるのを感じますから、自然の恵みの大きさに感謝です。

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