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子どもたちの『春と修羅』論考

次男(小4)「兄ちゃん、宮沢賢治って、わかんないことを書いてるよね」
長男(小6)「そうだね。『春と修羅』の初めんとこ(序のこと、原文を下に引用)なんて、ぜんぜんわかんないよね」
次男「さっきパパが読んでたけど、人と銀河と修羅とウニが宇宙塵を食べるとか、白亜紀の人類の透明な足跡とかでしょ」
長男「そう。変だよね。ふつう、人と銀河と修羅とウニをおんなじみたいに並べるか。ぜんぜん別のもんだろう。人とウニは生き物だけど、銀河と修羅は生き物じゃないし。だいたい、宇宙塵を食べるか。宇宙塵っていうのは宇宙の人じゃなくて宇宙のちりだぞ」
次男「食べないだろうね。ふつう」
長男「食べるわけないよな」
次男「宇宙人がウニを食べることならあるかもね」
長男「そうかなあ、聞いたことないよ」
次男「宇宙人て、何食べるんだろう」
長男「ウニは食わないだろうなあ。それによ、たとえば人と空気、銀河と宇宙塵、ウニと塩水っていうならわかるけど、順番がばらばらだし、修羅が余る。だいたい、白亜紀に人類がいたか?」
次男「いない。恐竜ならいた」
長男「透明な人類の巨大な足跡なんてある?」
次男「ないだろうね。透明なら見えないしね」
長男「透明なのは人類だか足跡だかよくわかんないけど、変だろう」
次男「変だ」
長男「変な序文なんかつけないで、意味のわかる詩を初めの方に載せればよかったんだ。妹が亡くなったときの詩なんか、僕が読んでも感動的なのに」
次男「そうだね。そうすれば本がもっと売れたかも」
長男「売り方、下手だよね」
次男「すごく下手だよ。もっとわかるように書いて、宣伝すればよかったのに。そうすれば、自分が思ってることをもっと人に伝えられたのに」
長男「はじめから読んでもわけわかんなけりゃあ、伝わんないよね」
次男「伝わんない」
長男「人からほめられようなんて、思わなかったのかな」

ご参考までに、「春と修羅」序
引用開始

わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽靈の複合體)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です

(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鑛質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです

これらについて人や銀河や修羅や海膽は
宇宙塵をたべ または空氣や鹽水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本體論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新世代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一點にも均しい明暗のうちに
(あるひは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を變じ
しかもわたくしも印刷者も
それを變らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます

けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料といつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれが感じてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相當のちがつた地質學が流用され
相當した證據もまた次々過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大學士たちは氣圈のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を發掘したり
あるひは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
發見するかもしれません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます

大正十三年一月廿日 宮澤賢治

引用終了
(伊藤)

コメント

はじめまして。突然失礼致します。
私は東京の学生です。春と修羅の序文を検索していたらこのブログに行き着きました。アニメ銀河鉄道の最後に朗読されたのが印象的で、意味はともかく表現が好きです。
お子さんたちの会話、かなり面白く読ませて頂きました。子供は躊躇なく核心を突くのがすごいですよね。

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