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『「狂い」のすすめ』

『「狂い」のすすめ』というのは、ひろさちやさんの本です。集英社新書から出ています。

それにしても、ものすごい題名ですね。まあ、題名なんて、なるべく過激に、センセーショナルにした方が売れるのでしょうけど。

自分で買ったのではなく、たまたま人からもらったものです。

なにげなくページを開いたら、興味をそそられ、一気に読んでしまいました。

ひろさちやさんは宗教、特に仏教についての本をたくさん書いてます。何百冊も書いています。そんなにたくさん読んだわけではないけれど、この本は、私が読んだひろさんの本の中で一番おもしろいです。

ふつう、誰も「狂い」を勧めたりしません。そのあたり、ひろさん特有の逆説的な皮肉なのかもしれません。

でも、読んでいると、ひろさんの言い分がまともに思えてきます。狂っているのは世間の方で、世の常識とされているものがかなり怪しく思えてきます。

「世間を信用してはいけません」

当然です。現在の世の体制・秩序に都合がいいように「世間の常識」というものがつくられ、押しつけられているのですから。戦争中であれば戦争中の常識が「世間の常識」だったわけですし、私の先輩たちが学生だった頃(1970年代)の常識と、私が学生だった頃(1980年代)の常識と、現在の常識だってだいぶ違います。

世間の常識なるものを前提に人生を賭けてはいけないんです。私が育った頃は、学歴があれば間違いない、資格があれば間違いない、だから目標を持って努力しないといけないと言われていましたが、そうした世間の常識は吹き飛びました。努力した人、高学歴の人、国家資格を持つ人が仕事にあぶれる時代になりました。

「目的意識を持つな!」

これも、すごいな。

わざわざ「!」までつけてあります。

著者は「たぶん現代日本では、九十九パーセントの人が金儲けを目的に生きています」と言います。九十九パーセントと言い切れるかどうかわかりませんが、相当の人が金儲けを目的に生きているのだろうと、私も思います。

多くの人にとって、進学先を選ぶのも就職先を選ぶのも、金儲けにつながるかどうかが基準。お金が儲かる企業や団体が一流の企業・団体とされ、そうした企業や団体に人材を送り込む学校が名門校と呼ばれます。高度な研究や教育をしている学校でも金儲けに結びつかなければ名門校とは言われません。中には結婚相手を決めるのも、住む場所を決めるのも、金儲けにつながるかどうかが基準という人もいるでしょう。

ひろさんが「目的意識を持つな!」と言うのは、こうした現状への痛烈な皮肉かもしれませんね。

「目的意識があると、われわれはその目的を達成することだけに囚われてしまい、毎日の生活を灰色にすることになる」とも言います。おもしろいです。

「人生は無意味」

そこまで言いますか。もっとすごいです。極めつけかもしれません。

私が下手にコメントすると誤解されるといけませんから、なぜ、ひろさちやさんがそこまで言うのか、ぜひこの本をお読みになってみて下さい。

「世界はすべてお芝居だ」

シェークスピアの言葉からの引用だそうです。「世界はすべてお芝居」という「世界劇場」の観念はヨーロッパに古くからあったのだそうです。人生はドラマだ、と、今でもよく言われます。私たちが生きるこの世界が舞台で、私たちは出演者。神様(あるいは仏様)がドラマの作者兼監督といったところでしょうか。

だとしたら、自分に与えられた配役に文句を言ってもはじまらない。

自分はつまらない役に当たったと思っても、実は、作者兼監督の深い配慮があってその役を与えられているのかもしれません。

ふつうの劇と違い、「世界劇場」では出演者は台本を渡されていないし練習もしていません。話がどう展開するかわからない、ぶっつけ本番の、その人にとって一度限りのドラマです。すごいですね。人生は壮大なドラマだという考え、楽しいじゃないですか。もちろん、人生には多くの苦しみもあります。そのことは、ひろさんも書いています。でも、世界はドラマであり、自分も出演者だという考え自体は、なんだか、わくわくしてきます。

福祉学生の頃、宗教改革者カルヴァンの著作集を読みながら、予定説という考えに腹を立てました。予定されているなら個人の努力に何の意味があるのか、重い障害を持って生まれてくる人も神の予定なのか、戦争も差別も独裁もみな神の予定なのか、それでも神は愛なのかと、私はカルヴァンに腹を立てたんです。

しかし、「世界劇場」と考えれば、神様(あるいは仏様)作の台本があるのかもしれません。だとすれば予定説は全面的に誤りだとも言えなくなります。作者兼監督はあんまりうるさいことを言わず、ある程度のアドリブを認め、見守ってくれているのかな、という気もします。

配役は自分では選べない、ひどいじゃないか、と言う人もいるでしょうが、生まれる前に打ち合わせして選んでいるのかもしれないのですよ。自分はそれを忘れているだけで。子どもは親を選んで生まれてくるという説さえあるのですから。

若い時に福祉を学んだ私は、ずっと「苦難の意味」を問い続けてきました。これを「世界劇場」という観念から考えてみることもできるのかもしれません。

他にも興味深い話がたくさん出てきます。

久しぶりに読みごたえのある本を読みました。(伊藤)

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